河原論説

中国の市場経済国問題とWTO

河原 昌一郎

 2016年12月12日、中国商務省は、中国が「市場経済国」であることの認定を見送ったとして、米国とEUをWTO(世界貿易機関)に提訴した。今後は、WTOの紛争処理規定に基づき所要の手続きが進められることとなろうが、このことによって米中の摩擦が強まる可能性もある。なお、市場経済国とは、政府による生産への関与・統制、為替操作等がなく、市場を通じて価格・コストや投資が決められる国をいう。

 事の発端は15年前の中国のWTO加盟時にさかのぼる。中国は2001年12月11日にWTO加盟を果たしたが、国有企業等への関与が大きい中国は、加盟後15年間は非市場経済国としての扱いを受けるという特別措置(中国加盟議定書第15条)が付され、これをのまざるを得なかった。非市場経済国の場合、当該国からの輸入をダンピングとして認定するときに、当該国の国内価格・生産費との比較ではなく、第三国の価格・生産費を用いることができる。たとえば、当該国からの輸入価格を50、当該国の国内価格を60、第三国での価格を80とすれば、輸入価格50と第三国価格80との差の30を用いて反ダンピング措置を講じることができるのである。この特別措置は、中国にとって大きな不満の残るものであった。

 この特別措置による不利益を縮小し、緩和するために中国が利用したのが、FTA(自由貿易協定)の締結である。中国のFTA締結は、石油、鉱物等の資源確保や相手国との政治的緊密化等の一定の国家戦略に基づいて行われているが、このFTA締結の際に、相手国から中国が市場経済国であることの承認を受けるのである。

 ところで、FTAは、WTO協定に根拠を置く貿易自由化のための特別協定であり、WTOに加盟しなければFTAを締結することもできない。そこで、中国はWTO加盟後にFTA締結に積極的に取り組んでいくこととなる。

 中国がまずFTA締結交渉の相手方としたのはASEANであり、早くも2002年11月には「中国ASEAN包括的経済協力枠組協定」が締結された。続いて2005年11月にチリとの間でFTA締結が行われ、2006年11月にはパキスタンとの間でFTA締結がなされている。また、先進国との間の初めてのケースとして、2008年4月にニュージーランドとFTAが締結された。この後も中国は世界各国とのFTA締結を進め、現在では約80カ国から市場経済国であることの同意を取り付けているとされる(2016年12月11日、毎日新聞)。ただし、米国、EU、日本といった主要先進国は中国とFTAを締結していない。

 中国は、早くから米国、EU等に中国が市場経済国であることを認定するよう求めるとともに、WTO加盟から15年が経つ2016年12月11日に自動的に市場経済国となることを主張してきた。しかしながら、米国、EU等は、自動的移行の規定は設けられておらず、市場経済国として扱うかどうかは個別の判断によると反論している。そして、EUは2016年7月21日に中国を市場経済国として認定しない基本方針を定め、米国も同年11月23日に同様に認定しない方針を公表した。日本も米国、EUと同調し、認定していない。

 米国、EUが中国を市場経済国として認定しなかった直接的な理由として掲げているのが中国の鉄鋼のダンピング問題である。中国の粗鋼生産量は、2015年は約8億トンであり、この10年間で約3倍に増加し、世界生産量の約半分のシェアを占めるようになっているが、国内では著しい供給過剰に陥っている。通常の市場経済であれば、過剰施設は市場の調節機能によって淘汰されることとなろうが、国家が国有企業を保護している中国ではそうしたがことが十分に行われておらず、しかも過剰生産分を低価格で外国に輸出しようとしている。このため、米国をはじめとする各国の鉄鋼メーカーは中国による安値競争にさらされて深刻な打撃を受けており、米国は2016年に中国産鉄鋼製品に200%超の反ダンピング関税を課した。米国等が中国を市場経済国として認められないのは、当然のことであろう。

 ところで、中国はWTO加盟以来、この鉄鋼生産の問題に限らず、自国の経済体制を基本的に変えておらず、市場経済国としての実質を備えるための改革は行っていない。中国の企業は、国有企業に限らず、有力な企業はほとんどが共産党の実質的な統制・指導下にある。各企業にはその地区の共産党の支部が設置され、その共産党支部が企業の経営や事業方針に大きな発言権を有する。中国では、共産党の明示または暗黙の同意がなければ、企業は事実上十分な経済活動を行うことができない。すなわち、経済活動の自由が十分には保証されていないのである。このことは外国企業も同様である。米国が、中国の市場経済国認定のために外国資本の自由な活動等を条件としている(2016年11月24日、日本経済新聞)のはこうした事情を踏まえたものである。

 また、中国は、為替管理について、人民元を事実上の米ドルペッグ制としており、為替の自由化を行っていない。米ドルとの間で、わずかばかりの変動を認めたが、実質的には人民元の為替相場は当局の強い管理の下に置かれている。これでは、米国の中国からの輸入がいくら増えても為替が変動しないため、輸入の増加がとどまることがない。トランプ大統領が中国を「為替操作のグランドチャンピオン」(2017年2月24日、ロイター)として批判したが、まったくそのとおりだと言うほかはない。

 最近になって、中国は韓国のTHAAD(高高度ミサイル防衛システム)配備に関係して、民間の一私企業であるロッテに対して事実上の事業妨害を行い、また、韓国への観光制限等の措置をとっているが、これなども中国の経済活動が共産党の強い管制下にあり、十分に自由でないことを示すものである。

 このように中国経済は、いわば「中国共産党独占資本主義」とでも言うべき体制にあり、このことは現在でもWTO加盟前と何ら変わることはない。したがって、非市場経済国としての実態も変わらないが、それにもかかわらず中国は自身を市場経済国と称し、前述のとおり、FTA締結等を通じて多数の国に中国が市場経済国であることを認めさせてきた。まさに虚構を多数の力によって現実的に事実化しようとする試みであり、こうした試みが中国の得意とする宣伝等によって功を奏してきたのである。この種の中国の試みは、他の分野でも容易に観察することができよう。

 WTO加盟後15年、繰り返しになるが、中国は自国の体制を変えることなく、WTO規定のうち自国にとって都合のいいところだけを最大限に利用し、大きな経済発展を遂げてきた。冷戦終結後、米国は中国に関与政策をとっており、その一環として中国がWTOに加盟することに賛成し、支援した。WTO加盟によって、中国の市場経済化、民主化が進むことを期待したのである。

 ところが、米国の期待はまったく裏切られ、関与政策が失敗に終わったことは誰の目にも明らかとなった。中国は、共産党独裁体制のまま、経済成長を軍事増強に転化し、米国に対抗し得るパワーとなることをひたすら目指してきた。そして、今や、米国を排除して東アジアでの覇権をうかがうまでのパワーを身に付けつつある。

 WTOの枠内では、中国との公正な経済競争を行うことが今後も期待できないことは、WTO加盟後15年の中国の現実の行動によってすでに明らかである。このことは、冒頭に述べたところの中国の提訴の結果がどのようなものになろうと変わることはない。中国は今後も経済に対する共産党支配を堅持するだろうし、為替操作も継続するだろう。しかも、中国は南シナ海、東シナ海等でその膨張主義的性格を顕わにしており、東アジアでの覇権獲得の意図を隠そうともしていない。

 したがって、中国と対抗し、その意図を挫くためには、現在のWTOの枠を超える取組が必要である。TPP(環太平洋連携協定)はそうした取組の要となるはずであった。TPPには、国有企業への支援禁止、外国企業との紛争の国際仲裁、結社の自由の付与等、中国がこれまで決して受け入れようとしなかった規定が含まれており、しかも加盟国内でのサプライチェーンの形成がめざされていた。

 ところが、周知のとおり、トランプ政権はこのTPPからの離脱を表明したため、TPPが発効する可能性は消滅した。しかしながら、中国と対抗するための何らかの措置を講じる必要性は時の経過とともに強まっている。まず日米で早急にこの問題を検討し、今後の方針を打ち出さなければならない。


発表時期:2017年5月
学会誌番号:40号

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