河原昌一郎
戦争の根本的な原因は「おそれ」にあると言われる。古代の戦史家トゥキュディデス(B.C.471-400)が、その著『ペロポネソス戦争』において、「戦争が避けられないものになったのは、アテネの権力が増大し、それがスパルタのおそれの原因になったからである。」と結論づけたことはよく知られている。
近・現代においても、「おそれ」が根本的原因となったと見られる戦争は枚挙にいとまがない。ナポレオン・フランスに対する対仏同盟、第一次世界大戦時の三国同盟に対する三国協商等はこの典型的な例であり、もとより日露戦争もこれに当てはまろう。さらには、先の太平洋戦争もアメリカが日本に対して早くから抱いていた「おそれ」が根底にあったと見ることは可能である。
そして、今、米中関係の底流をなしているのが、アメリカの中国に対する「おそれ」であり、その「おそれ」は年を逐って強まっている。
「おそれ」は、言い方を変えれば相手国から受ける「脅威」感のことであり、「脅威」は主として相手国の軍事力と自国に対する敵対的意図によって構成される。
もともとアメリカは中国をほとんど「脅威」としてはとらえていなかった。1972年の米中和解から1989年の冷戦終結までは、ソ連という共通脅威を眼前にして、米中はむしろ同盟的な関係ですらあったのである。
ソ連解体によって米中の共通脅威が消滅した後、アメリカはあらためて中国の「脅威」を見直すようになるが、1990年代半ばごろまではまだ「脅威」は潜在的なものであり、具体化しているものでないというとらえ方であった。
この当時、アメリカのクリントン政権がとっていた主な対中国政策が「関与」政策である。「関与」政策とは、中国に対して政治経済面を含めて包括的に「関与」することにより、中国の国家体制を変革し、アメリカの主導する民主主義と自由経済による国際社会の中に組み入れようとする政策である。すなわち、安全保障の観点からは、中国の国家体制を変革することにより、中国のアメリカに対する敵対的意図を除去し、「脅威」が具体化するのを防止しようとするものであった。
ところが、この「関与」政策は、ほとんど効果がなかったことは周知のところである。「関与」政策にかかわらず、中国が国家体制を変えることはなかった。中国は共産党一党独裁による権威主義的体制を維持し、政治的自由等の人権を抑圧し続けており、改善の兆しは見えていない。一方で、経済成長を背景として、軍事力の近代化・増強は毎年大きく進展している。
こうした中国の「脅威」の増大に、強い懸念を抱くようになったアメリカ議会は、2000会計年度における防衛支出承認法において国防総省に中国の軍事力に関する報告書を毎年提出させるようにし、中国の「脅威」についての監視を強めることとなった。
その後、ブッシュ政権になってからは、アメリカが公式文書で「関与」政策に言及することはなくなり、「関与」よりも、中国に自ら正しい選択を迫るという論調に基本的に変化する。そして、2006年のQDR(4カ年防衛レポート)では、中国の「脅威」がすでに潜在的なものでなく、具体化したものであることを認め、それに対抗し、備える方針が明記されることとなった。
オバマ政権では、アメリカは安全保障の重点をアジア・太平洋に転換することを明確にするようになったが、これももとよりこうした流れの中にある。アメリカの中国に対する「おそれ」は一貫して強まっているのである。
2013年6月7、8日にアメリカ・カリフォルニア州で行われたオバマ大統領と習近平国家主席との会談では、オバマ大統領が、日本はアメリカの同盟国であり、日本への軍事的挑戦は認められないという立場を主張したとされる。こうした外交的動向にも、米中関係の底流をなすものが影響を及ぼしている。
個々の外交的結果を的確に把握し、フォローすることはもちろん重要であるが、それに一喜一憂するのではなく、その底流をなすものを適正に把握し、それとの関係で外交動向を考察するという視点も我が国がとるべき基本的態度を間違えないという観点から重要なのである。
発表時期:2013年5月
学会誌番号:25号