河原論説

トランプの「一中政策」見直し発言の背景-パワーバランスの変化-

河原 昌一郎

 米国次期大統領トランプによる対台湾政策をめぐる発言、行動が大きな波紋を呼んでいる。トランプは、2016年12月2日、台湾総統蔡英文と電話会談を行った。会談は、単なるトランプ当選の祝福にとどまらず、米台交流の強化や国際的課題への台湾の参画問題等も議題となり、10数分間に及んだという。いかなる形であれ、米台トップの直接の会談は、米中国交回復以来数10年の慣例を破るものであった。続いて同月11日、トランプはフォックス・ニュースのインタビューで、「中国と貿易その他のことで妥協を引き出せないのに、なぜ我々が一つの中国政策に縛られねばならないのかわからない。」と発言した。この発言は、トランプが従来の一中政策にとらわれず、場合によっては一中政策を見直すこともあり得ることを示唆したものであり、内外から注目を浴びることとなった。

 トランプ発言に中国は直ちに強く反応した。中国外務省報道官は、翌12日にトランプ発言に「深刻な懸念」を表明し、台湾問題は中国の核心的利益に関する問題であり、一中政策は米中関係の政治的基盤をなしており、米中関係を損ねないためにも今後とも一中政策を堅持するよう米国指導者に求めた。中国の王毅外相は、同日、訪問先のスイスで、一中原則を破壊して中国の核心的利益を損なおうとしても、自業自得の結果になるだけだと述べている。また、中国紙の環球時報は、同日付け社説で、トランプは外交政策で子供のように無知であり、一中政策は売買できるようなものでないと強く非難した。

 中国の反発は当然と言えば当然のものであるが、やや意外な反応をしたのが米国オバマ大統領である。オバマは、同月16日、任期中最後となるホワイト・ハウスでの記者会見の場で、記者の質問への回答で、一中政策に詳しく言及し、「基本的に中国と米国の間では、台湾に関して現状を変更しないという長期の共通認識がある。・・・台湾人も同意していることだが、ある程度の自治を継続して行うことができるなら、彼らが独立宣言に向かうようなことはない。・・・一つの中国は中国人の国家概念の核心であり、もしこれをくつがえそうとするなら、その結果を明確に考えなければならない。」と述べた。

 このオバマ発言に対しては、今度は台湾人が反発した。台湾人公共事務会会長陳正義は、オバマがこのような発言をするのは、彼が台湾をまったく理解していないからであり、一中政策に縛られてしまっているからであると批判した。また、時代力量党主席黄国昌は、台湾教授会主催のセミナーで、オバマの考え方は40、50年前に米国が一つの中国政策を宣言した段階のものにとどまっているが、台湾はその後数十年の民主的発展を遂げたため、現在の客観的環境は、多くの面で、米国が一中政策を策定したときとは大きく異なっており、オバマの発言と台湾人の認識とは大きな隔たりがあることを指摘した。

 黄国昌のこの発言は、1972年の上海コミュニケにおける「米国は、台湾海峡両側のすべての中国人がみな、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部であると考えていることを認識した」との記述が、現在でも米国の一中政策の基礎になっていることを想定したものと考えられる。この当時は、確かに、台湾では蒋介石が健在であり、大陸の回復をめざす「反共復国」を台湾は国是としていたのであって、台湾海峡の両岸がともに中国は一つであるとする政策をとっていた。ところが、1980年代末からの民主化によって、台湾は大きく変化する。対外的に中国は一つとの主張は行わなくなり、大陸中国を一つの政治的実体として認め、その一方で台湾は実質的に独立した一つの民主国家であるとの立場をとり、それを前提とした外交を展開するようになるのである。こうした民主的発展によって、台湾住民の台湾人意識が高まり、現在では、中国は一つと考える台湾人はごく少数になっている。したがって、米国が一中政策の基礎としている上海コミュニケの記述が、現在の状況には必ずしも合致しなくなっていることは明らかであり、黄国昌はオバマがこうした事実を認識していないと主張しているのである。米国の一中政策にこうした矛盾があることは前述の台湾人公共事務会も指摘しているとおりであり、同会では、トランプ・蔡電話会談の後、ワシントン・ポストに、一中政策は時代遅れとなって多くの矛盾が生じているため、トランプ政権には対台湾政策を調整するよう期待する旨の広告を出している。

 このように、対台湾政策に関するトランプの発言、行動はいろいろな議論、憶測を呼び、また一定の衝撃をもって受け止められているが、こうした注目を浴びるのは、単に慣例を破ったからというだけでなく、国際政治上の本質的な変化、すなわち国際的なパワーバランスの変化がその背景ないし根底にあることを、多くの人が、意識するしないにかかわらず感じとっているためではないかと考えられる。そこで、以下ではこのパワーバランスの変化について述べておきたい。

 米国の一中政策が始まった1972年の米中和解時は東アジアのパワーバランスが大きく変化した時期であった。中ソ対立および中ソ国境紛争の深刻化に伴い中国の主たる脅威は米国からソ連へと転換した。これによって、ソ連が米国と中国の共通脅威となり、米国と中国との敵対関係に終止符が打たれて和解が可能となるようなパワーバランスが形成されることとなったのである。すなわち、米国の主敵はあくまでソ連であるが、東アジアでの対ソ最前線は従来の台湾に代わって中国が担うこととなった。それまで、中ソが一体と見られていた時期は、中ソ共産国に対する最前線の防波堤は台湾だったのであり、そのために米台同盟が機能していた。米中和解によって、米国にとって台湾の戦略的地位は著しく低下した。台湾の一定の戦略的重要性や道義的責任から、米国は台湾を完全には放棄しなかったが、必要最小限のものとして、中国による台湾への武力侵攻を阻止し、台湾の自治が維持できればそれでよしとされたのである。米国の一中政策は、こうした時期に形成されたものである。

 米中和解時の米中交渉は、米国が台湾に関する中国側の主張をほとんど受け入れた形で終わっている。米国は、それまで、台湾問題を国際問題として介入する理由として、台湾の法的地位が未定であることを掲げてきた。サンフランシスコ平和条約で日本は台湾・澎湖諸島の領有権を放棄したものの、その帰属は明記されなかった。帰属については別途連合国で決めるということであるが、そうしたことはこれまで行われていない。したがって、台湾の法的地位は現在も国際法上は未定である。この台湾の法的地位未定を米国が今後は主張しないとしたのも、このときの米中交渉においてである。

 現在の東アジアのパワーバランスが、こうした米中和解時のものとはまったく異なったものとなっていることは誰の目にも明らかであろう。かつては米中の共通脅威であったソ連は解体され、一方で中国の軍備は著しく増強されている。米国にとって、東アジアにおける最大の脅威は、今や、まぎれもなく中国である。中国は、東アジアでの覇権をめざして、軍事、外交等のあらゆる分野でその歩を進めつつある。中国の新型大国関係の主張は、東アジアでの覇権を米国から平和裏に移転させることを最終的目標としていると見られ、また周辺外交の展開も中国中心の東アジア安全保障体制を築いて、米国の二国間同盟による現在の秩序を排除することを狙いとして秘めている。中国の海空の軍事活動はますます活発化しており、南シナ海での埋立・軍事施設建設は、同地域での大きな脅威を形成しつつある。最近、空母を含む中国の艦隊が南西諸島を横切って西太平洋で演習を行ったが、こうした軍事的行為によって日米との軍事的緊張はさらに高まろう。

 このように、現在の東アジアのパワーバランスは、中国と日米との対峙が基軸となっており、台湾はその間に位置付けられるものとなっている。台湾の戦略的地位が日米にとって極めて重要なものとなっていることは明白である。台湾の戦略的地位が低下していた米中和解時の一中戦略は当然見直されなければならない。こうした観点から、トランプの発言、行動を見るならば、単に慣例の打破というだけでなく、別の意味が見えてこよう。

 2016年12月初旬に米国議会は米台の上級軍事担当者の交流を可能とする「2017年国防授権法案」を可決し、同月23日にオバマ大統領がこれに署名した。これも1979年の米台の断交以来のことであり、東アジアのパワーバランスの変化に対応したものと見ることができる。現在の東アジアのパワーバランスの趨勢は日米にとって台湾の重要性をますます強めるものとなっており、対台湾政策はこうした観点を十分に踏まえて策定することが強く求められているのである。


発表時期:2017年2月
学会誌番号:39号

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