コラム

国家意識と世界観

河原昌一郎

  現在の日本人には健全な国家意識が欠如していると言われる。もちろん日本人全てがそうであるということではないのだが、大多数の日本人が国家を日常で意識することはなく、また国家というものを考えることもないというのは事実であろう。

  国家を意識しない人の意識構造は、まずかけがえのない自分があり、そしてその周りにはニュースで見聞きするような世界が存在するというもののようだ。自分と並んで存在するのは世界であり、自分と世界は直接につながっているという意識である。そしてこの世界は決して自分と敵対的なものとは意識されず、基本的に平和なものである。本来、自分とは密接な関係のある社会・国家の存在やそれらと自分との関係が意識されることはない。すなわち、こうした意識構造は、強い自己中心主義と基本的に平和的な世界とで成り立っているのである。

  強い自己中心主義は、小中高大の教育期間を通じて養われる。現在の教育は、個人に応じた教育、個人の能力発現等、一貫して徹底した個人中心のものとなっており、社会・国家と自分との関係、貢献の必要性等はほとんど教えられることがない。

  平和的な世界観も、同様に教育の現場で、徹底的な平和主義教育がなされ、世界が平和愛好的な国家から成り立っているとする現行の日本国憲法が何らの批判もなく教え込まれること等によるものであることは言うまでもないだろう。国際連合も平和のための国際機関であるかのように教えられ、その内実が特別の権限を有する安全保障理事会を通じたパワーゲームの場であることは教えられることがない。

  日本人の国家意識の欠如は、自己中心主義と平和的国家観とが相まってもたらされているものである。国際社会が現実にはパワーが支配する弱肉強食の世界であることを認識しなければ正しい国家観も持ち得ない。日本人が健全な国家意識を持つようになるためには、自分が社会・国家の一員であり、社会・国家に尽くす義務があるということを認識するとともに、現実的で正しい世界観を有するようになることが必要なのである。


発表時期:2019年2月
学会誌番号:47号

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