コラム

明治の精神

河原昌一郎

 今年は明治元年から満150年が経過した年に当たるため、「明治150年」として政府主催の各種のイベントが開催されているほか、日本各地でそれぞれの地域史等を踏まえた独自の取組が行われている。

  政府広報によれば、「明治150年」関係行事を推進する基本的コンセプトの一つとして、「明治の精神」に学ぶということが挙げられている。「明治の精神」がどのような精神であるかということについての定義や説明がなされているわけではないが、イベントの内容等から見る限り、先進的な制度、技術、文化等を、失敗を恐れず積極的かつ果敢に摂取、導入に努め、日本の近代化や発展の礎を築いたという文脈で理解されているようである。地域での取組も概ね同様である。

  「明治の精神」をこのように理解することが誤っているわけではもちろんないだろう。多くの人が一般に考える「明治の精神」にはこうした内容が確かに含まれている。しかしながら、一方で、この「明治の精神」を今の日本人が簡単に学ぶことができるものではないということには十分な理解が必要である。

  時代の精神は、ただその時代の社会的情勢や政治的動向だけで形成されるものではない。時代の精神は、言うまでもなくその時代を支える人々(概ね20~50歳代)によって築かれるが、これらの人々の精神は実は前時代の教育や社会環境によって培われたものである。すなわち、時代の精神のいわば基礎となる精神は前時代が用意するのである。

  明治の前時代は幕末期(江戸末期)であり、明治に活躍した人々は幕末期に教育を受け、幕末という環境の中で育った人々であった。周知の如く伊藤博文、福沢諭吉、岩崎弥太郎といった人々は元武士であり、武士として教育を受け、育ったのである。幕末期においては、武士道の倫理観を基本としつつ、私塾等を通じて、尊王、愛国、大和魂といった概念が若い人に刻み付けられた。

  「明治の精神」は、こうした倫理観・精神を持つ人々が、明治時代という時代的要請の中で発現させたものであるということができよう。明治の人にあった「自分の学習が一日遅れれば、日本の進歩が一日遅れる」といった強い自己犠牲的精神や愛国心は、幕末期の教育・社会環境を知ることによって初めて理解されるのである。

  「明治150年」を振り返ることはもとより積極的な意義があり、現代の日本において重要なことであると考える。しかしながら、今の日本人が「明治の精神」を実践することは難しい。今の日本の時代精神が何であるかを考えたとき、まったく暗澹たる気持ちにならざるを得ないのである。


発表時期:2018年11月
学会誌番号:46号

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