河原昌一郎
今年もワールドカップ(サッカー)やアジア大会といったスポーツの国際試合が多数開催された。こうした国際試合では、国を問わず、大多数の人は自国の代表チームを応援し、声援を送る。自国チームへの応援は、その人の国家への帰属意識を反映した自然な感情の発露と考えられ、愛国心の一つの表れと見なして良いものと思う。
しかしながら、応援者の中には自国チームに肩入れする余り攻撃的で暴力的な振る舞いに及ぶ者がいる。またアジア大会では、各国から開催国(韓国)が自国チームに有利な判定や操作を行っているとの批判や不満が渦巻いた。これらは明らかに行き過ぎた行為であり、かつスポーツ精神にもとる不当な行為であるが、こうした行為は必ずしも稀ではない。
ところで、これらの行為は自国チームを勝たせたいという強烈な意識に起因していることは疑いのないところであるが、それでは自国チームを勝たせたいという意識が熱狂的であればあるほどそれだけ愛国心が強いということになるのだろうか。答えを先に言えば、それは決してそうではない。
このことは、たとえば、日本のプロ野球ファンで熱狂的に巨人や阪神を応援する者がいることを考えれば直ちに了解されよう。これらの者が巨人や阪神を応援するのは、何らかのきっかけによって巨人や阪神と自己とを同一視(自己投影)するようになっているためである。ここで作用している心理は本質的に自己愛であって、愛国心と何の関係もないことは明白であろう。そして、こうした応援意識が行き過ぎたものとなり、また病的なものとなるのは、その人の精神が未熟で幼稚なものであることを示しているにすぎない。
自国チームへの応援は、そのきっかけは自然な愛国心であっても、それが不健全で行き過ぎたものとなるのは、自己愛が過剰であり、精神的に未熟なためである。自国チームを勝たせようとして国ぐるみで不当で行き過ぎた行動をとるような国は、その国の精神が未熟で幼稚であり、文化レベルが低いと断ぜざるを得ない。これらの者を突き動かしている心理は、結局のところ、自己愛であり、自国の品位を汚さないという正当な愛国心にも欠けているとせざるを得ないのである。
発表時期:2014年11月
学会誌番号:30号