河原論説

台湾総統・立法委員選に見る「中国への怖れ」

河原昌一郎

 2016年1月16日に台湾で実施された第14代総統選は、蔡英文・民進党候補が約56パーセントの得票率を得て、約31パーセントの得票率にとどまった朱立倫・国民党候補を抑えて圧勝した。同時に行われた立法委員選挙においても、民進党が過半数57議席を大きく超える68議席を獲得した。また、民進党に近く台湾「独立」志向が強い新政党の時代力量は、初陣ながら5議席を獲得した。

 蔡英文・民進党の勝因としては、一般的に、①中国との関係では現状維持を訴え、交流の道を模索するとして、中国との急速な交流強化に警戒心を抱く者の支持を得るとともに、経済界からも一定の理解を得たこと、②中国との経済交流拡大・自由化にも拘わらず台湾経済は低迷を続けるとともに、中国経済そのものが減速して展望が見出せなくなっており、馬英九政権の経済運営に疑問が呈されるようになったこと、③就職難、低賃金、住宅価格高騰等によって多数の若い人が生活難に直面しており、若い人を中心に馬英九政権に対する不満が高まったこと等が挙げられる。これらはいずれももっともな理由であり、蔡英文・民進党の大勝に大きな役割を演じたことは疑いのないところであろう。

 しかしながら、こうした一般に指摘されている理由だけでは、前述した時代力量という新政党の躍進を十分に説明できない。時代力量は、2014年3月にサービス貿易協定の批准に反対して立法院を占拠したいわゆる「ひまわり学生運動」を主導した学生グループが中心となって結成した政党である。そうした政党が、今回の選挙では5人の当選者を出し、民進党、国民党に次ぐ第3党に躍り出た。何が同政党をこのように押し上げたのか。

 今回の総統・立法委員選の前回までの選挙と異なる1つの特色は「統一」または「独立」という問題が、選挙戦でほとんど主張されなくなったことである。かつて、民進党は、本省人(戦前から台湾に居住する者)の台湾独立を期待する心情に訴えつつ、本省人と外省人(中華民国の台湾支配後、大陸から移転してきた者。民主化前の支配層を形成した。)との間の軋轢や摩擦、いわゆる「省籍矛盾」をことさら煽り立てて選挙戦を展開した時期があった。2004年に陳水扁が当選した総統選では、まさにそうした選挙戦が行われたのである。しかしながら、台湾独立は、中国の武力行使を招く可能性が強く、このため米国も支持せず、加えて国内での住民投票の不成立等の各種の事情から、具体的な政治日程に上ることはなかった。

 一方で、「統一」については、前回2012年の総統選で、馬英九が中国との平和的統合を内容とする「平和協定」締結を馬英九政権第二期の政策ビジョンである「黄金の十年」の中に盛り込み、今後10年内で「平和協定」を締結すべきことを打ち上げたことがある。これに対しては、野党やマス・メディアが大々的な批判を展開したことから、馬英九は「平和協定」締結には住民投票を不可欠とするとの条件を提示し、事実上、「平和協定」締結を封印せざるを得なかった。「統一」が大多数の台湾人の強い反発を招くことは明らかであり、現状ではおよそ選挙戦のテーマにできるようなものではなかったのである。

 現在の台湾民意のコンセンサスは、「統一」でも「独立」でもなく、「現状」維持にあるとされる。民主化された現在の台湾では、「中華民国」という形式的枠組の中ではあるが、個人の自由が保障されるとともに、国家としても事実上独立している。「現状」維持とは、そうした現在の台湾が事実として享受している「自由と独立」を維持することである。

 こうした台湾民意を反映して、近年の国民党と民進党の主張は、いずれもその「現状」をいかにして維持するかという方策に関するものとなっている。国民党は、「現状」を維持して台湾を発展させるためには「1つの中国」原則を受け入れて中国と良好な関係を保って関係を強化することが必要だと主張し、民進党は、中国との性急な関係強化は危険を伴うことから中国とは一定の距離を保ちつつ台湾を安定的に発展させる方法を模索することが重要だと主張する。

 馬英九政権は、「現状」の維持を標榜しつつも、中国との協調を重視したいわゆる「活路外交」の下に、中台の関係強化・緊密化を一気に進めた政権であった。馬英九政権期には、両岸協議の復活によって、三通(通商、通航、通郵)、ECFA(両岸経済枠組協定)をはじめとする22の両岸協定が締結された。しかしながら、この時期に台湾人の「中国への怖れ」が強まった。国民党の「1つの中国」原則の下で、中台関係の緊密化とともに、台湾の政治・経済界のみならず、メディア、言論界等に対する中国の影響力が強まったことから、「中国への怖れ」を多くの台湾人が抱くようになったのである。

 その「中国への怖れ」を改めて感じさせることとなったのが、中国旺旺グループによる台湾メディア買収の動きであった。旺旺グループは、中国の食品企業であるが、2008年に台湾の有力新聞社の1つである中国時報を傘下の中国テレビおよび中天テレビとともに買収した。続いて2010年には、ケーブルテレビ事業大手の中嘉網路を買収した。こうした買収によって、これら系列の新聞、テレビでは、中国に都合の悪い報道は抑えられ、中国を賞賛する報道が増えたという。さらに旺旺グループは、2012年にはライバル会社であるりんご日報にも買収を仕掛け、破格の高値で買収しようとした。こうした動きに、「旺旺グループのりんご日報買収反対」、「反メディア独占」を掲げ、敢然と反対運動を展開したのが、学生たちの主催する「反媒体巨獣青年連盟」であった。「中国への怖れ」を抱くようになっていた台湾人は、この学生たちの運動を支援し、大きな社会運動となった。結果として、旺旺グループは、2013年3月にはりんご日報買収を断念せざるを得なかったのである。

 また、サービス貿易協定の批准に反対して2014年3月に勃発したひまわり学生運動も、やはり本質的には「中国への怖れ」から生じたものであり、多数の台湾人がこの運動を支援した。サービス貿易協定には、労働市場の開放等のほか、出版・印刷や通信事業の開放も盛り込まれている。もしこうした事業を中国企業が担うようになれば、言論活動への影響は必至であり、通信施設を通じて台湾人の行動も監視されかねない。ひまわり学生運動はこうした事態を阻止しようとしたものであり、この運動の中心になったものが「黒色島国青年陣線」という団体であった。これは「反メディア独占」活動を主導した学生グループが中心になって結成したものであり、さらに新政党の時代力量へと発展した。

 中国支配の強化につながる動きや施策に果敢に反対し、行動する新政党・時代力量は、このように「中国への怖れ」を抱くようになった台湾人の理解と支持を得るようになり、このことが今回の選挙での躍進の基盤となったと見ることができるのである。

 ところで、こうした「中国への怖れ」は、単に中台関係の強化等だけからもたらされたものではもちろんなく、両岸のパワーバランスの変化を背景にしていることには十分に留意しておく必要があろう。両岸のパワーバランスは、近年の中国の著しい軍事力強化により、中国有利に変化している。こうした軍事力増強は、中国が台湾の統一、支配に強い意欲を持っていることを示すものにほかならず、実際、中国は台湾への武力行使を放棄していない。こうした中での台湾メディア等への中国の影響力の強化は、台湾にとって決して友好的なものではあり得ないだろう。パワーバランスの変化は、台湾人の「中国への怖れ」をより深刻なものとしているのである。

 また、台湾の若い世代もこの「中国への怖れ」を共有している。台湾の若い世代は「天然独」と言われることがあるが、これは民主化後の台湾に育った彼らは、台湾が事実として独立していることが自然な状態であると認識していることによる。彼らは、約9割が台湾人意識を持ち、「統一」は強く拒否し、中国の影響力強化には「怖れ」を抱くのである。時代力量は、こうした若い世代の支持も得ている。

 このように、現在の台湾人の選挙行動には、「中国への怖れ」が大きな影響を与えるようになっている。そして、実は、この「中国への怖れ」こそは、東アジア安全保障の原点とも言うべきものなのである。「中国への怖れ」を感じなくてすむようにするためにどうすればよいかという問題は、ひとり台湾だけの問題ではない。各国が協力して取り組むべき問題なのである。台湾人がこの「中国への怖れ」を取り除くことができたときこそ東アジアに真の安全と平和がもたらされたときであろう。


発表時期:2016年5月
学会誌番号:36号

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