河原論説

2020年台湾総統選を振り返って-蔡英文の勝利の要因と今後-

河原昌一郎

 2020年1月11日に実施された台湾の総統選は、現職の民主進歩党(民進党)蔡英文の歴史的圧勝となって終わったが、1年余り前の2018年11月に台湾で統一地方選があったときに、今回の台湾の総統選の結果がこのようなものとなろうことを予測した人はまず誰もいなかったのではないだろうか。

 同統一地方選では、台湾にある22の県市のうち国民党が15の県市の首長を押さえ、民進党は6県市しか確保できなかった。残りの1市は無所属(台北市長・柯文哲)である。選挙前に民進党が13の県市を押さえていたことと対比すれば、その凋落ぶりは明らかであった。蔡英文総統の支持率は、当選直後の2016年5月こそ69.9%の高さを誇ったが、1年後の2017年5月には28%にまで急落し、その後は30%台で低迷していた。上記統一地方選の結果もそうした蔡英文総統の不人気ぶりを反映したものであり、このまま推移すれば2020年総統選での政権交代は必至と考えられた。

 中国による台湾への三戦(世論戦、心理戦、法律戦)攻勢もますます勢いを増し、2019年1月2日に習近平は一国二制度で台湾統一を具体化する意欲を表明した。2020年の総統選で親中国の国民党候補者が当選することを前提に、一国二制度による台湾統一が現実味をもって考えられるようになったのである。

 それでは、こうした状況からどのようにして蔡英文が2020年総統選で圧勝するという状況へと変化したのであろうか。

 一つは、上記の習近平発言を契機として蔡英文は危機意識を強め、台湾の事実としての独立と自由・民主主義を守るという立場からの主張をこれまでになく強く、かつ明確に発言し、併せて、中国による統一攻勢に対処するための方策を具体的に打ち出し、実践するようになったことである。

 上記習近平発言の同日、蔡英文は直ちに談話を発表し、一国二制度を台湾は「絶対に受け入れない」として拒否した。続いて2019年3月11日の国家安全会議の場で「一国二制度による統一攻勢に対抗するためのガイドライン」を表明した。このガイドラインは、「中国による台湾の世論操作・機密窃盗を防止すること」等の8項目を掲げ、従来にない強い姿勢で中国との対決姿勢を鮮明にするものであった。

 この8項目の中で、中国による統一攻勢を制度面で阻止しようとしたものが「両岸協議を監督するため、両岸人民関係条例を改正すること」という項目である。中国と台湾との協定締結は、従来、条約ではなく、実質的に総統の権限で締結可能な両岸協議という形式で行われてきた。両岸経済協力協定(ECFA)等もこの両岸協議の形式で締結されている。中国の究極の狙いは、この両岸協議の形式を利用して、親中国の台湾総統に一国二制度を内容とする両岸平和協定を締結させることである。両岸平和協定が締結されれば、中国は軍事力を用いることなく台湾の統合が可能である。このため、蔡英文政権は、2020年総統選でたとえ国民党候補者が当選しても両岸協議の形式では両岸平和協定を事実上締結できないような法的措置を講じておくこととした。すなわち、両岸人民関係条例を改正(第5条の3の追加)して、政治問題を議題とする両岸協定には立法院の特別決議と全国人民投票での半数以上の同意を必要とすることとし、そもそも主権国家の地位に関するようなことは両岸協議の議題とすることができないようにしたのである。蔡英文政権はこの両岸人民関係条例改正案の立法院での審議を2019年5月末日に終え、同6月には施行にこぎつけた。

 また、同6月には機密漏えい等の国家を裏切る行為には断固とした厳しい処罰で臨むとしつつ、いわゆる国安三法(国家安全法、秘密保護法、刑法)の修正作業を完成させた。統一攻勢を強める中国に対抗しようとする蔡英文の強い姿勢と一連の措置は、台湾の自由と民主主義を守りたいとする多くの台湾人に安心感と共感をもたらすものだったであろう。

 一方で、台湾の情勢とあたかも呼応するかのように2019年4月ごろから逃亡犯条例改正案に反対する香港での反政府デモが激化した。同6月には主催者発表で200万人が参加したとするこれまでにない大規模なものとなり、同8月ごろからデモ隊と警察との間で暴力を伴う広範な衝突が起こるようになった。同9月になると暴力衝突はますます過激なものとなり、中国共産党を後ろ盾とする香港警察の人権を無視した強権的弾圧ぶりが白日のもとにさらされることとなった。

 この香港デモのあからさまな現実が、台湾人に、中国の言う一国二制度の悲惨な現実を認識させ、中国共産党への恐怖をあらためて掻き立てるものとなったことは想像に難くない。今日の香港を明日の台湾にしてはいけないという思いを多くの台湾人が抱くようになったのである。

 香港デモは、中国に対して強い対抗姿勢をとるようになり、一国二制度に対して明確に反対している蔡英文の支持率を押し上げる直接的な要因となった。2019年6月の民進党の総統予備選の際に行われた世論調査では、蔡英文の支持率が国民党の候補者と目される韓国瑜の支持率を上回った。これまで30%台で低迷していた蔡英文の支持率が回復する兆しを見せるようになったのはこのころからである。

 一方で、中国共産党寄りの姿勢を示す韓国瑜の支持率が低下するようになった。ある民間機関の調査では、上記統一地方選の前に52.1%あった韓国瑜の信認度が2019年7月には34.6%にまで低下した。また、中国経済の減速や米中貿易戦争の激化等によって、台湾企業が中国に立地するメリットが少なくなり、中台の経済関係が以前よりも希薄化しつつあることも韓国瑜離れに拍車をかけたのではないかと考えられる。

 2019年7月ごろからは、蔡英文優位の情勢が明確なものとなり、いずれの調査機関における調査でも蔡英文の支持率が韓国瑜の支持率を上回った。こうした情勢は、そのまま、総統選当日まで変わることはなかった。総統選では、蔡英文が歴史上初めてとなる800万票以上を獲得し、550万票の得票で終わった韓国瑜に250万票以上の大差をつける地滑り的な勝利となったのである。

 以上のとおり、2020年総統選を振り返ったとき、毎回の総統選もそうなのであるが、今回の総統選においても、候補者の中国に対するスタンスが決定的に重要な役割を果たした。今回は、台湾の自由・民主制度を守るために中国とは距離をとるというスタンスが、経済的利益等を享受するために中国と接近するというスタンスを凌駕したのである。しかしながら、こうした傾向が今後とも維持されるかどうかは保証の限りでない。

 中国国務院台湾弁公室は、総統選があった同日深夜に、台湾の「平和的統一、一国二制度」という基本方針を堅持しつつ、祖国統一の歩みを今後とも進めるという趣旨の声明を発表した。中国政府が、今後とも台湾への干渉を緩めるつもりがないことを表明したものである。国際機関からの排除等による台湾の国際的生存空間の縮小、台湾付近への軍艦・軍機の侵入の常態化による台湾人への威嚇、台湾の国交国への切り崩し等の動きが今後ますます強まるものと想定される。そうした中で最も警戒を要するのは中国スパイの台湾への滲透であろう。中国スパイは台湾のあらゆる部門に浸透し、その実態の把握は容易ではない。蔡英文政権は2019年12月に反滲透法を成立させたが、どこまで実効があるかは疑問も残る。

 このように、2020年総統選で蔡英文政権の存続は決まったものの、台湾をめぐる情勢は決して楽観を許すものではない。蔡英文政権支持の姿勢を明確にしている米国や日本が、中国の反対も予想される中で、どのような形で蔡英文に助力できるのかも台湾の将来にとって重要なポイントとなろう。


発表時期:2020年5月
学会誌番号:52号

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