河原論説

「ひまわり学生運動」と台湾の「第三の道」

河原昌一郎

 2014年3月18日、台湾で学生達が立法院に侵入して議場を実力で占拠するという前代未聞の事件が発生した。立法院議場の民衆による占拠は、もちろん台湾憲政史上初めてのことである。

 事件の直接の原因は、野党(民進党ほか)、民間団体等から反対の強かった「両岸サービス貿易協定案」について、同協定案を審議していた立法院内政委員会で与党(国民党)が一方的に同委員会での審議を打ち切り、審議期間の経過を理由に審査終了を宣言しようとしたことである。学生達は議場を占拠してこの宣言を阻止するとともに、同協定案の撤回や、新たな両岸協定の締結には監督条例を制定して監督すること等を要求したのである。

 この学生達の行動を台湾の世論は歓迎し、支持した。台湾のTVBSテレビの3月24日の世論調査によれば、議場占拠を支持する人が51%、同協定案については中国と再協議すべきだとする人が63%に達した。議場占拠は違法であるとして学生に退去を求めている馬総統に対しては、逆に学生との対話に応じるべきだと考える人が83%に及んだのである。議場占拠中の3月30日に開催された総統府周辺の抗議集会には学生を支援する市民が多数参加し、主催者発表で50万人、警察発表で11万6千人が参加する大規模な抗議集会となった。学生達の今回のこうした運動は、議場の学生達に支援者からひまわりが送られるなど、ひまわりが象徴的な花として用いられたことから、「ひまわり学生運動」と呼ばれる。ひまわりは太陽を想起させ、中台協定締結のブラックボックスを白日の下に照らす意味があるとされる。

 こうした中で、4月6日に王金平立法院長が学生達と話合いを持ち、まず両岸協議の監督条例を制定することとし、同条例が成立するまでは両岸サービス貿易協定案を審議しないこと等を承諾した。これによって学生達は一応の成果が得られたものとして議場から退去することを宣言し、4月10日に宣言どおり議場から退去して20日以上に及んだ議場占拠事件は終結した。

 さて、今回のひまわり学生運動の顛末はごく簡単にまとめれば以上のとおりであるが、この学生運動は今後の台湾と中国との関係そして台湾の民主主義に画期をなす重要な意義を有していると考えられるので、以下でこのことについて述べることとしたい。

 台湾の政治は、これまで、大きくは国民党を中心とした藍色陣営と民進党を中心とした緑色陣営に政治勢力が二分され、両者の対立・抗争という形をとってきた。藍色陣営は一口で言えば自分達は基本的に中国人であると考えるグループであり、中国との各種交流の強化や将来的な中国との統合に肯定的である。一方で緑色陣営は、自分たちは台湾人であると考えるグループであり、中国との交流には警戒感を示し、台湾独立を志向する。中国との交流拡大は、中国勢力の台湾への浸透、台湾企業の中国による取り込み等によって、中国の台湾統合を容易にしかねないものであることを緑色陣営は懸念しているのである。

 2000年から2008年までの間の陳水扁政権は、緑色陣営を率いる民進党の政権であり、中国との交流には慎重であった。陳水扁は、台湾が事実上の独立した国家(分断国家)であることを前提とし、中国と対抗しつつ、台湾の民主主義を前面に打ち出したいわゆる民主外交を展開して、台湾の国際的地位を高めようとした。しかし、このことは中国の激しい抵抗と反発を招き、結局は挫折してしまう。そうした外交上の失敗も踏まえて、2008年から政権を担当することとなったのが国民党の馬英九であった。

 馬英九は、台湾外交の前提として中国の理解を得ることを重視する考えを打ち出し、これを活路外交と呼んだ。陳水扁の国家観は、両岸はそれぞれが分断国家であり、国と国との関係であるという明確なものであったが、馬英九は「一つの中国の原則」を受け入れ、両岸は地区と地区の関係であるとする。ただし、中国と台湾のいずれが国家であるかということについてはあいまいなままとしており、国家観が不明である。

 この馬英九政権の下で、緑色陣営の懸念する中国との交流が急速に、かつ大きく進展した。この馬英九による中国との交流拡大は、国民党の野党時代の2005年4月に南京で行われた連戦国民党主席と胡錦濤総書記との会談(連・胡会談)を下地としている。同会談は60年ぶりの国共トップ会談として注目されたが、同会談で表明されたものが「五項目の共通願望」であった。「五項目の共通願望」を進めるべき順に並べ直せば、①党対党の定期交流の場を設定する、②両岸協議を復活させる、③台湾の国際活動参加問題を協議する、④両岸経済協力枠組を作って両岸経済の全面交流を図る、⑤敵対状態を終結させ、平和協定を締結する、となる。

 このうち、①党対党の定期交流については、その翌年から直ちに実施されることとなった。②両岸協議については、馬英九政権となってから、台湾側は海峡交流基金会(海基会)、中国側は海峡両岸関係協会(海協会)を窓口として再開されることとなり、2008年6月に第1回トップ会談を行っている。中台間の各種協定は、両政府の外務省を窓口とするのではなく、全てこの両岸協議を通じて締結されることとなっている。③台湾の国際活動参加問題については、協議はされている。ただし、WHOへのオブザーバー参加、APEC出席者の格上げぐらいでお茶を濁されている。④経済交流は、2010年6月に両岸経済協力枠組協定(ECFA)が締結され、その下での交流拡大が急速に進められている。今回の両岸サービス貿易協定もこのECFAの中に位置付けられている。⑤平和協定の締結は、中国による台湾の政治的統一を意味するものであるが、もちろんまだ実現していない。

 このように、「五項目の共通願望」は実質的に中国共産党による台湾統合の道筋を示したものである。これに台湾の国民党は明確に合意しているのであり、国民党の馬英九政権になってからは、言わば、その「国共合意」が着実に実施に移されてきた。そして、現在はすでに5段階中の第4段階の途中まで進行しており、残すは両岸サービス貿易協定を含めた第4段階の残りと第5段階(平和協定締結)だけとなっているのである。

 こうした事態の進行に緑色陣営がただ手をこまねいて見ていただけではもちろんない。2008年12月の三通(中台間の通信、通商、通航の直接開放)、2010年6月のECFA締結等に対しては大規模なデモを含む激しい抗議活動を展開した。しかしながら、こうした抗議活動はいずれも十分な効を奏さなかった。その重要な理由の1つとして挙げられたのが、両岸協定が条約ではなく、国内の行政協定として扱われていることである。従って、両岸協定は、署名後、立法院で承認されなくても一定期間後に自動的に発効する仕組みとなっている。このため、協議がブラックボックスの中で行われ、内容的に問題があるものであっても、立法院や台湾人民はこれをチェックして阻止する法的手段を持っていない。

 一方で、2012年の総統選では、両岸平和協定反対を訴える緑色陣営の蔡英文候補(民進党)は、今後10年以内の平和協定締結を明言した馬英九に勝つことができなかった。平和協定への不安よりも現実的な経済利益が優先したのである。

 こうした事態の推移の中で、危機意識を深めた台湾人民は、藍色陣営でも緑色陣営でもない「第三の道」を模索することとなった。すなわち、中台交流の一定の拡大は許容するが、台湾の民主主義と人権を守ることを至上の目標として、特定の政党色を出さずに民間団体として運動を展開するというものである。こうした運動を展開する団体として、台湾守護民主平台、台湾人権促進会等の多数の団体を挙げることができ、そして、今回のひまわり学生運動を主導したのが、そのうちの黒色島国青年陣線という団体であった。

 現在の台湾の民意は、「新台湾国策智庫」によれば、自分が台湾人であると考える人が60.5%(中国人であると考える人はわずか2.9%にまで減少)に達し、もし現状が維持できなくなれば台湾独立を支持するという人が65.1%に及んでいる。これらの人は基本的に「第三の道」に好意的であり、理解を示すことができるであろう。

 実際、ひまわり学生運動は多数の人民と民間団体の支持を得て行われており、こうしたこともあって馬英九政権は学生の議場からの強制排除という強硬手段に訴えることができなかった。結果、馬英九政権は大きな妥協を余儀なくされたのである。

 ひまわり学生運動によって、馬英九政権がこれまでまさになりふり構わず急速に進めてきた中台統合の動きに初めてブレーキがかかった。そして、このことは特定の政党色を出さない学生や市民の力によって成し遂げられた。「第三の道」は台湾の民意なのであり、今後はこの民意が台湾の将来に大きな影響を及ぼしていくこととなると考えられるのである。


発表時期:2014年8月
学会誌番号:30号

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