コラム

「ポスト真実」の時代の危うさ

河原昌一郎

 オックスフォード大学出版局が毎年11月に英国の流行語として公表している「Word of the Year」に2016年は「post-truth」が選ばれた。同語の意味が少しわかりにくいが、オックスフォード辞典によれば、世論形成に当たって客観的事実よりも感情や個人的信条に訴えかけることのほうがより大きな影響力を持つ状況のことであるという。日本語訳としては、「真実後」や「脱真実」といったものも考えられるが、「ポスト真実」という語が多く使われるようになっている。2016年に「ポスト真実」が英国で流行語として採用されたのは、同年のEU離脱の是非を問う英国での国民投票の際や、米国の大統領選挙のときに、インターネット上で事実に基づかない極めて多数の情報が流布している状況を形容して「ポスト真実」の語が多用されたためであった。

  「ポスト真実」という概念は、このように、誰もが各種情報を発信できるようになったインターネット時代の到来によって改めて注目されるようになったものであるが、「ポスト真実」という手法自体は決して新しいものではない。孫子の兵法は、まさに、言わば「ポスト真実」戦略を駆使して戦わずして敵を屈服させようとするものである。

  戦後、日本は、第二次世界大戦に対する評価をはじめとして、この「ポスト真実」戦略にさらされ、苦しめられてきているが、従来はまだ情報発信者も少なく、「ポスト真実」戦略の対象も限定的であった。ところが、現在の日本ではあらゆる政治的場面で「ポスト真実」戦略が用いられるようになっている。中国の行っている三戦(心理戦、宣伝戦、法律戦)や南京問題、慰安婦問題等もそうであるが、放射能に対する必要以上の恐怖心の植付け、平和安全法制に対する「戦争法案」とのレッテル、オスプレイに対する印象操作等、日本の政治が「ポスト真実」戦略で覆われてしまっているかのような感さえある。そしてそれを助長しているのが、インターネット等の近年の新しい情報伝達手段である。

  この結果、「ポスト真実」戦略によって多くの重要な真実が隠されてしまい、日本人が本来知るべき真実を日本人が知らされていない状況となっている。こうした状況下で下される判断は決して健全なものでありえず、極めて危ういものであることは言うまでもない。「ポスト真実」戦略をいかにして打破するか、このことは日本政治の最重要課題として取り組むべきものであり、この問題の解決なくしては日本の永続的な繁栄もないであろう。


発表時期:2017年5月
学会誌番号:40号

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