コラム

「脱亜」は明治以来の日本の国是

河原昌一郎

  「脱亜」という観点から明治以来の日本の歴史を簡単に振り返って見よう。日本の明治は「旧来ノ陋習ヲ破リ」、「智識ヲ世界ニ求メ」(五箇条の御誓文)、大いに国運を振興するというまさに「脱亜」の誓いとともに始まった。日本の近代化は西欧化すなわち「脱亜」であった。「脱亜」によって日本がめざしたのは、日本が欧米列国の仲間入りをすることであり、国際社会の一員として認められることであった。「脱亜」は、したがって「脱亜入欧」と実質的に同じ意味である。

  ところで、ここで注意しておきたいのは「脱亜」には決してアジアの近隣諸国に対する蔑視感や精神性が含まれるものではないということである。このことは、日本が明治の初めにおいて近隣諸国の近代化に協力、支援しようとした事実や、「和魂洋才」という言葉があることからも窺えよう。「脱亜」は精神面に及ぶものではない。「脱亜」は、本来的には、日本が国際社会で欧米列国と対等な国として認められ、欧米列国と協調し、またその友好国であるという主として国際社会での位置付けを示す用語なのである。

  日清、日露戦争を経て日本は列国の仲間入りを果たし、基本的に「脱亜」を実現させる。日露戦争後、日本は列強としての地位を強め、第一次世界大戦後はまさに列国の一員として国際協調時代を築き、「脱亜」を堅持する。「脱亜」は日本の繁栄の基礎であった。ところが、大恐慌後の経済ブロック化の中で、日本は円ブロック圏(日満経済ブロック、大東亜共栄圏)の形成に動かざるを得なくなり、自ら「脱亜」を放棄する。その結果は惨憺たる敗北であった。戦後は日米同盟を基軸として西欧諸国と連携し、再び「脱亜」の状況に戻った。そうした中で、日本は経済的繁栄を実現した。

  日本は今においても「脱亜」である。しかしながら、中国の台頭等とともに、アジア共同体、アジア主義といった必ずしも意味が明確でない言葉が聞かれるようになっており、中には人種主義的な危険な意味合いで使われているものもあるかのごとくである。「脱亜」は日本の国是である。日本の国際社会での位置が再び問われるようになっている今、「脱亜」の有する意味をあらためて考えてみたいものである。


発表時期:2015年11月
学会誌番号:34号

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