河原論説

中国人権白書-人権分野の中国のダブルスタンダード-

河原昌一郎

 2018年12月12日に中国政府は『改革開放40年中国人権事業の発展と進歩』と題するいわゆる中国人権白書を公表した。

 近年、中国は人権に関する白書を毎年のように公表している。

 2016年12月に中国はいわゆる発展権白書なるものを公表し、中国では発展権が人権の重要な内容として重視され、その実現が図られていることを主張した。発展権とは、発展途上国が経済、社会、文化等の面で発展する権利のことであり、また、その国民がそうした発展による利益を享受することができる権利のことであるとされる。発展権は、1970年代になって国連で人権の一つとして主張され、議論されるようになった権利であるが、国家も発展権の主体としていることもあって、国際的に確立した人権としては認められていない。しかしながら、発展権の概念は中国の統治政策を正当化する上では都合の良いものである。このため、発展権白書公表の数日後に、中国は、1986年12月8日に国連総会で採択された「発展の権利に関する宣言」の採択30周年を祝う国際セミナーを北京で開催する等、発展権の普及には大変な力の入れようである。

 翌2017年12月には『中国人権の法治化保障の新進展』と題する白書を公表した。同白書の主要な内容は、中国の立法過程には民意が反映されるようになり、また、権力の行使は法によって一層制約され、国民の生命財産を守るために法に依って各種の対策が実施されているというものである。その例として法制定時のパブリックコメント募集の実施、共産党内部の監督の強化、ネット犯罪の取締り強化等を挙げている。こうした対策が中国の人権状況の改善にどれだけ寄与しているのかは疑問とせざるを得ないが、この中で共産党内部の監督強化が挙げられているのは、共産党の腐敗や恣意的な権力行使の実態を垣間見せるものであろう。

 今回公表された中国人権白書は、こうした人権に関する白書公表の流れの中にあるもので、第3弾となる。中国が最近になって集中的に中国の人権状況を公表するようになったのは、一方で進行している中国国内の人権活動家の弾圧強化、インターネット規制等を通じた言論の抑圧、個人情報収集等による情報統制社会の構築といった習近平の進める独裁国家化の動きと無縁ではないだろう。多くの人権抑圧を伴う独裁国家化は、当然、国際社会から人権侵害についての批判を招きやすい。一連の人権に関する白書公表はこうした批判にあらかじめ対処しようとするものであり、また、こうした批判が出ることを牽制する狙いが込められているものと考えられる。

 さて、今回の中国人権白書は3万字にも及ぶような文章で中国が「人権」と主張する内容を詳細に記述しているが、その主たる内容は、中国は生存権と発展権を人権の中で最重視しており、これらの人権は改革開放40年で大きく改善されたというものである。

 生存権を中国憲法の規定する人権の中で他に優先する最も重要なものとして位置付けることは、中国政府のこれまでの一貫した憲法解釈または立場である。国家によって生命を保障されることが国民にとって最も切実な要求だとされる。人権の主役は生存権であることが教育や宣伝活動を通じて国民の間に広められ、そのときに人類が歴史的な闘争を通じて獲得してきた自由権は事実上無視される。言うまでもなく、生存権の強調は、自由権を軽視または無視するためでもある。もちろんこうした考え方は、自由権の保障を人権の中心とする一般の民主国家での考え方とはまったく相容れるものではない。

 中国人権白書で重視するもう一つの権利である発展権に関する中国政府の考え方については前述のとおりである。

 ところで、生存権と発展権の重要な共通点は、いずれも原則として国家によって与えられ、保障される権利であり、しかももっぱら経済生活に関係するものということである。一般の民主国家では、いわゆる基本的人権と考えられているものは自然法思想に由来し、自然状態の中で人が生まれながらにして保有しているものであって、国家はそのすでに保有している権利を保障するにすぎない。すなわち基本的人権は人が生来有するものであって、国家がそれを与えるといった性格のものではない。また、基本的人権のうちで核心となるものは精神的自由であり、何よりも精神的自由の保障が優先されねばならない。ところが、中国政府の人権に関する考え方はこれとは異なる。人権は、すべて国家によって与えられるものであって、国家以前に存在しているような人権という概念が認められることはない。精神的自由はまったく等閑に付されて顧みられることはなく、経済生活の水準が向上したことで成果が説明しやすい生存権と発展権のみが強調される。

 実際、中国人権白書を読むと、この白書は人権に関するものではなく、経済発展に関する報告書ではないかと思わせるような内容となっている。たとえば、生存権および発展権の補償水準が向上した例としては次のようなものが挙げられている。

 ①貧困人口が過去40年で8.5億人減少したこと、②中国の食糧生産量は40年で2倍になり、飢餓という現象は消滅し、国民の栄養状態が改善したこと、③飲料水の安全状態が改善し、農村においても水道水の供給が80パーセントに達したこと、④都市農村の居住条件が改善し、1978年に比較して2017年の1人当たり居住面積は、都市で30.2平方メートル、農村で38.2平方メートル増加したこと、⑤中国交通網の整備が進み、2017年の営業鉄道距離は1978年の1.5倍の12.7万キロメートル、そのうち高速鉄道は2.5万キロメートルに達したこと、⑥中国人の平均寿命が1981年の67.8歳から2017年には76.7歳となり、世界平均の72歳よりも長くなったこと。

 このほか、経済発展について、国民総生産、1人当たり生産値、都市1人当たり可処分所得、農村1人当たり収入、住民消費額等が40年で数十倍にもなったということが具体的数字とともに強調され、中国では生存権および発展権の水準が飛躍的に向上し、中国の「人権」事業は大きな成功を収めたと自画自賛している。

 しかしながら、この中国人権白書の、国民の生活水準の向上がすなわち国民の人権水準の向上であり、こうした成果は改革開放後にとった政府の正しい政策のおかげであるとする主張には、一般的感覚からすれば、人権に対する説明としては違和感を覚えずにはおかないだろう。

 前述したように基本的人権は各人に生まれつき与えられている天賦のもので政府から与えられるものではなく、政府はそうした各人の権利を保障し、保護する責務を負っているにすぎないという観点からすれば、人権の保護とはそうした権利が公権力による制約なく保障されているかどうかということなのであり、国民総生産等の経済的諸数値と人権とはおよそ結びつくような性格のものではない。

 中国人権白書はこうした人権問題の本質を覆い隠し、人権についての新たな概念すなわちダブルスタンダードを用いて、自己の正当化を図ろうとしているものにすぎないとしか言いようのないものである。中国は思想・信条の自由、表現の自由、政治的自由等の基本的人権を認めていない。このため、中国の人権状況は、一般的に極めて劣悪な状況にあるものと評価されている。ところが生存権や発展権という怪しげな人権を振り回すことによって、中国で人権は大いに改善されていると主張することができる。

 中国人権白書には人権問題の本質に向かい合おうとする中国政府の姿勢は一切見られない。しかし、そうした歴史に逆行しようとする姿勢はいつまでも続けられるものだろうか。中国政府が人権問題の本質と向かい合わなければならない日はいずれ来るであろう。


発表時期:2019年5月
学会誌番号:48号

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