河原論説

習近平の権力集中過程の特色と今後

河原昌一郎

 2018年2月26日の人民日報は、その第一面で、国家主席の任期を2期10年に制限する規定を削除することを含む憲法改正案を公表した。習近平は、現在、中国共産党総書記であり、かつ、国家主席であるが、共産党総書記には任期に関する制限規定がないため、国家主席の任期制限をなくせば、制度的に現在の地位に無期限で在任していることが可能となる。この憲法改正案は多くの注目を浴び、一般的には習近平が指導者の地位に終身とどまり、中国政治の独裁化がさらに進むものと受け止められている。

 ただし、今回の憲法改正案は決して意外なものではなく、むしろ必然的ななりゆきとして見られるべきものであるが、そのことを確認するために、これまでの習近平への権力集中過程を振り返って見ることとしたい。

 習近平が第五世代指導者の有力候補者として目されることとなったのは、2006年に上海市党委書記であった陳良宇が汚職で失脚し、江沢民の強い後押しによって、その後任として2007年に同市党委書記となってからである。習近平は2007年10月の第17期党大会で中央政治局常務委員となり、2008年に国家副主席に選任された。さらに2010年には第17期5中全会で中央軍事委員会副主席となり、胡錦涛の後継者としての地位を確実なものとした。

 ところが、2012年に薄熙来事件が勃発し、このことが来るべき習近平政権の性格に重要な影響を与えることとなる。薄熙来(当時、重慶市党委書記)は、習近平に替えて自身が次世代指導者となるべくクーデタ計画を進めていたが、薄熙来の腹心の王立軍(前重慶市公安局長)が四川省成都市の米国総領事館に政治亡命を図って駆け込んだことから、このクーデタ計画が党中央に知られることとなった。

 クーデタ計画は、新四人組と呼ばれる薄熙来、周永康(当時、党中央政治局常務委員)、徐才厚(同、党中央軍事委員会副主席)および令計劃(同、党中央書記処書記)によって進められていたものと考えられている。このうち、事件の首謀者である薄熙来は2012年9月に胡錦濤政権によって党籍を抹消され失脚したが、他の三人については、現役の党幹部であったこともあり、特段の処置はなされなかった。このため、これら三人は2012年11月の第18回党大会で党の役職から退いたが、同党大会で新指導者となった習近平は、まずこれら三人との権力闘争を迫られたのである。

 こうした権力闘争に勝ち抜くためには、できるだけ自らに権力を集中させることが必要であり、独裁制を高めていくほかはない。習近平の独裁化を考える場合、本人の権力志向的な性格だけでなく、こうした習近平政権をとりまく情勢も重要な要因となっていたことは見過ごされてはならない。

 習近平は、政権発足後直ちに「虎もハエも叩く」とする反腐敗運動に取り組み、権力闘争を開始した。これとともに、2014年1月に国家安全委員会を設立し、周永康および徐才厚がそれぞれ基盤としていた公安部門および軍部を自らが直接に指導、管理する体制を整えた。

 こうした準備の上に、まずこれら三人の親族、関係者から包囲網を狭める形で徐々に調査を進め、周永康は2014年12月に、徐才厚は同年6月に、令計劃は2015年7月にそれぞれの党籍を剥奪した。さらに、江沢民や周永康と近かったとされる郭伯雄(前党中央軍事委員会第一副主席)の身柄を同年4月に拘束し、同年7月に党籍を剥奪した。

 これによって、政権発足当初に習近平に課された権力闘争は概ね決着し、基本的に習近平の勝利に終わったとしてよいであろう。党内には依然として江沢民等のグループが残っているものの、権力闘争によって、当面の政敵、勢力が排除され、これとともに習近平の権力基盤が強化され、独裁性が強まることとなったことは否定されない。

 2016年1月から、習近平は、党中央での位置付けについて、胡錦濤政権期は単に「胡錦濤を総書記とする党中央」という言い方をしていたものを、「習近平を核心とする党中央」という言い方に改めさせた。総書記を核心と言い改めることによって、自身が党中央で別格の地位にあることを強調したものであり、当面の権力闘争に勝利した習近平の自信の表れというべきものである。同時に、権力強化のための習近平による軍部の掌握は着実に進められ、2016年1月に人民解放軍4総部の解体による15部局への再編、2月には7軍区の廃止による5戦区の設置という大改革が行われた。2017年11月には軍事委員会主席責任制を全面的に徹底する指示が中央軍事委員会から出され、軍事委員会主席である習近平の権威と権力の絶対化が図られている。

 一方で、上述のような権力闘争、権力集中化は、党中央の意思決定または権力移譲のあり方に関係する重要な変更を伴うものであった。胡錦濤政権期までは、党中央は集団指導体制がとられていた。党中央の決定は、政治局常務委員7人または9人による合議で行われることとされ、その集団指導体制を支えていたものが政治局常務委員になった者は、その職を退いてからも終生責任を問われないという不文律である。このことによって、在任中の発言や行為の責任を後に問われることはなく、また、誰が後継者になっても自分の身の安全は保障されることから政権移譲を比較的スムーズに行うことができた。ところが、習近平が当面の最大の政敵として打倒した周永康は、胡錦濤政権期の政治局常務委員であった。周永康を拘束し、投獄(無期懲役)することによって、習近平はこの不文律を破ることとなったのである。なお、習近平は、周永康を拘束中の2014年10月の第18期4中全会で、重大な政策決定についての「終身責任追及制度」を定め、これまであった不文律は名実ともに破棄されたことを明らかにした。

 政治局常務委員経験者の責任の終生免責という慣行が破棄された以上、政治局常務委員会での意思決定、とりわけ後継者選定に当たっては従来よりもはるかに慎重な意思決定が求められることとなる。ややもすれば自らが拘束され、処刑されかねない。このことは、権力闘争を通じて潜在的な敵を多数作ってきたと考えられる習近平にとっては特に深刻な問題であろう。誰が後継者となっても、また、それがいつになっても、権力の移譲は習近平にとっての悪夢である。

 以上のような制度的問題に加え、依然として党内に一部の対抗・敵対勢力が残存している現状において、習近平の政治目標が権力のさらなる集中と永続化となることは、冒頭で述べたとおり、必然的ななりゆきと言えるのではないか。2017年10月の第19回党大会では後継者の選定が見送られ、今回は国家主席に終生とどまることへの道が開かれる憲法改正案が示された。これらは、もともと習近平の一貫した中長期的な構想の中にあったものであり、その場当たりの決定が行われたというものではないはずである。習近平の権力集中または独裁化に向けて見られる強い意欲は、権力闘争を勝ち抜いたことに伴う権力基盤の強化や政権移譲のあり方の変化という政権をめぐる環境と、習近平自身の権力志向的性格の相乗効果によってもたらされているものと考えられる。

 ところで、習近平が権力の永続化を図り、終身国家主席も視野に入れていることが今回の憲法改正案で改めて明らかとなったが、権力の永続化のためには、権力の集中・強化が必要である。これまで、習近平は、前述のとおり、主として権力闘争を通じて権力基盤を強化し、権力の集中を図ってきた。権力闘争による権力集中は、権力闘争の勝者の当然の果実というべきものであり、これに異を唱える人はいない。ところが、権力闘争が一段落した後に権力集中をさらに進め、人心を収攬して求心力を高めていくことは難しい問題である。反腐敗運動はまだ続いているが、すでに人民はこの運動から離れつつある。習近平に決定的に不足しているのは毛沢東や鄧小平にあったカリスマ性である。カリスマ性のない人物が求心力を保ち、政権を維持していくことは決して容易ではない。習近平は政権の永続化をめざすが、毛沢東のように終身主席をまっとうできるかは疑問が多いと言うべきであろう。


発表時期:2018年5月
学会誌番号:44号

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