河原論説

中国海警法の危険性

河原昌一郎

 2021年1月22日、中国全人代常務委員会において中国海警法が可決され、同年2月1日から施行されることとなった。同法の直接の目的は、中国海警組織の任務、権限、位置付け等を法的に明確化することによって中国の海上警備体制を整備し、海上権益を保護・維持しようとするものである。中国海警組織は人民武装警察の1組織であり、人民解放軍と並ぶ軍事組織の一つとして共産党中央軍事委員会が統一的に指導する(中国人民武装警察法第2条、中国海警法第2条)。今回の中国海警法では、中国海警組織が海上で警察権、司法権を行使し、併せて必要に応じて軍事的行動もとり得る言わば万能の組織であることが改めて明記されている。

 ところで、今回の中国海警法は東アジアの海上の緊張を高め、我が国の安全保障にも影響を及ぼす決して看過できない危険な内容を含んでいる。本稿では、この問題について、法的観点、心理的観点および現実的観点の三つの観点から検討、整理しておきたい。

 まず一つめの法的観点については、中国海警法が海上の秩序維持に関する国際法運用の現状に変化を生じさせるというものである。中国海警法では、中国の管轄海域に侵入している外国公船(外国の軍艦および非商業目的の公船)が退去要請に応じない場合、強制退去または強制連行を行うことができると規定している(同法第21条)が、このことは必ずしも現在の国際法運用の実際に即したものではない。

 現在、国際法上は、領海は各国の主権の及ぶ領域とされ、一般の外国船舶には国内法に基づき強制措置を講じることも可能とされているものの、外国公船についてはそうではない。国連海洋法条約では、領海内にある外国公船については、「法令の遵守の要請を無視した場合には、当該沿岸国は、その軍艦に対し当該領域から直ちに退去することを要求することができる」(同条約第30条)と規定するのみで、それ以上の規定はなされていないのである。我が国はこうした条約規定のあり方を受けて、海上保安庁法で、領海内にある外国公船については強制措置の対象から除外する(同法第20条第2項第1号)という運用を行っている。今度の中国海警法の規定は、こうした我が国の運用とは全く反したものである。

 国連海洋法条約では沿岸国の要請に応じない外国公船に対処する明文規定がないため、今回の中国海警法の規定が直ちに同条約違反であるとは断定できないかもしれないが、少なくとも関係海域での当事国間の緊張を高める不当なものであることは間違いのないところである。外国公船に対して強制的な退去または連行を行い、必要に応じて武力を行使する(中国海警法第48条)という規定に対抗措置を講じるためには、本来ならば我が国も中国海警法と同等の規定を設けるべきだということとなろう。ただ、その場合、現実的に尖閣諸島周辺水域ではどのようなことが起こるだろうか。そのことだけでも、今回の中国海警法の規定の不当性、危険性というものを認識できよう。

 二つめの心理的観点は、関係国に対する心理的威嚇に関するものである。今回の中国海警法では、管轄海域の対象範囲についての曖昧性を残しつつ、紛争への対応には武力行使が含まれることを明記したことによる威嚇効果が生じている。

 管轄海域の対象範囲については東シナ海または南シナ海の係争海域が含まれるか否かがポイントとなるが、もとより、これについて明言されることはなく、曖昧なままにされている。もし、紛争海域が中国海警法の管轄海域に含まれるとするならば、同法では外国公船に対する武力行使規定も含まれているため、国際紛争の武力解決を禁じた国連憲章第2条等に違反するとの指摘も受けようが、そうした議論は巧妙に避けられているのである。

 一方で、管轄海域での違法行為に対する対処手段には武力行使も含まれることが明記されたため、紛争海域で不用意な行動をとれば武力行使を招くのではないかという戦略的明確性というべき心理的威嚇効果が生じている。戦略的明確性とは、ある状況が生じた場合にはどのような対応または報復措置をとるかを予め明確にしておき、その威嚇効果によって関係者がそのような状況を生じさせないようにすることである。2005年に中国は台湾の陳水扁政権の独立活動を抑制するため、反国家分裂法を制定して独立活動には武力行使で臨むことを明記したが、これなどは典型的な戦略的明確性の事例である。中国海警法では外国公船に対する武力行使があり得ることが明記されたため、紛争海域での関係国の対応は武力行使にも備えた慎重なものとならざるを得ないということである。

 また、我が国にとって気になるのは、外国組織等が無断で島嶼に建築物や施設を建造したときは海警組織がそれを制止し、または強制的に排除するという規定(中国海警法第20条)であろう。この規定は、尖閣諸島防衛のためにも灯台、観測所等の施設を尖閣諸島に建造し人員を配置すべきであるという主張を牽制するものとなっている。これも戦略的明確性に伴う威嚇効果である。ただし、我が国としてはこうした威嚇効果に惑わされ、自己抑制するようなことがあってはならないだろう。中国はいろいろな心理戦を仕掛けてきており、この中国海警法もその一つなのである。

 三つめの現実的観点は、武器使用のハードルを下げたことに伴う現場海域での緊張の激化やそれに伴う対応のあり方に関する問題である。中国海警法は外国公船に対する強制退去や武力行使の判断を現場の担当者にまかせており(中国海警法第21条、第47条)、上部組織や中央の許可は必要とされていない。もとより、紛争海域での計画的で大規模な侵略的行為は中央の指示に基づかなければできないであろうが、小規模で突発的な衝突であっても現場の判断で武力行使に至る可能性は大きく高まっているのである。

 中国公船は、海上での治安活動にあって相手船舶に体当たりするという手法をとることが多い。南シナ海では中国公船がベトナムやフィリピンの船舶に対して公船、民船を問わず体当たりするという事件が繰り返し起こっている。今後は、尖閣周辺水域においても我が国海上保安庁巡視船に対して、中国公船が外国公船への強制退去措置の一環と称して体当たりを行うことが想定される。さらに、状況の展開によっては武力行使が行われることもあろう。そうした場合に我が国はどう対応すべきだろうか。突発的なものか、計画的なものかの見極めの判断も難しい。政府部内での検討はすでに進められているだろうが、いずれにしても現場海域での緊張は従来に較べて大きく高まっており、これへの適切な対応が求められているのである。

 以上、中国海警法の危険性について、法的観点、心理的観点および現実的観点の三つの観点から述べてきたが、終りに中国海警法の背景にあるものについて触れておきたい。考えようによってはこのことが最も危険である。

 中国海警法は、管轄海域での法執行に当たって、外国公船への武力行使をあえて明記し、戦略的明確性と言うべき立場をとっているが、このことは自己が管轄海域と主張する海域の関係国に対して、軍事的優位に立っているという認識を示しているということである。軍事的優位に立っていなければ戦略的明確性による威嚇効果は生じない。軍事的劣位にある者は戦略的明確性という手段を用いることはできないのである。中国も従前は海上での武力行使を明言するようなことはなかった。

 そして中国は、どこまでも国力の拡大をめざすという攻撃的現実主義の方針をとっている国である。攻撃的現実主義国である中国が軍事的優位に立っていると認識しているということは、中国が適当と考える時期に武力行使が実行されるということである。その時期はわからないものの、中国が「頃はよし」と見れば攻撃が始まるであろう。中国海警法の制定はそうしたことも暗示している。我が国はそうした事態をしっかり想定し、それに備えなければならない。


発表時期:2021年5月
学会誌番号:56号

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