河原論説

中国の「依法治国」と「終身責任追究制度」 

河原昌一郎

 中国の習近平政権において、「依法治国」は、国内社会の安定、政権基盤の強化、政権の求心力の維持等を図るための重要な指導理念として、大きく唱導されるようになっている。2014年10月の中国共産党(中共)第18期第4回中央委員会(18期四中全会)では「依法治国」を全面的に推進することが決議され、今年3月5日に第12期全国人民代表大会(全人代)第3回会議の場で行われた李克強首相による政府工作報告では、今後の政府建設の目標の最初に「依法治国」が位置付けられた。

 ところで、中国で「依法治国」は1990年代後半に大きく取り上げられたことがあり、同概念が注目されることとなったのは今回で2度目である。ところが、1度目と2度目の「依法治国」はその背景や狙いとするところが大きく異なっている。これらを明らかにすることは、すなわち中国の「法治」の特殊性や、現在の習近平政権が直面している問題を明確化することにつながると考えるので、以下、このことについて説明していきたい。

 かつての計画経済時代の中国では、国民の生産活動、社会生活等に関することは原則として共産党の指示、指令に基づいて規制または統制がなされ、基本的に法律に基づいて国家統治を行おうという発想がなかった。文化大革命(文革)期においては、法制度の整備どころか、実力による秩序破壊が進んだのである。このため、中国で刑法典がようやく制定されたのは改革開放政策開始後の1979年7月のことであった。罪刑法定主義が常識である先進諸国の感覚からすれば、異常な状態だったとするほかないだろう。民事上の法的主体や権利、責任等について定めた民法通則が制定されたのは1986年4月のことである。国民の権利義務に最も関係の深い刑法、民法の制定がこうした状況であるから、他の法律の制定状況は推して知るべきであろう。中国の法制度の整備はそもそも極めて立ち後れた状況だったのである。

 改革開放政策開始後は、中国の近代化には法制度の整備が必須と考えられ、徐々に必要な法律が制定されることとなったが、法制度の整備が大きく進展するようになったのは1992年の鄧小平の南巡講話後、社会主義市場経済化の方向が確定し、中国経済が急速な経済成長の軌道に乗るようになった1990年代後半になってからのことである。

 1996年の第8期全人代第4回会議の5カ年計画に関する文書には「依法治国」を今後の基本方針とし、奮闘目標とすることが規定された。中共政権で「依法治国」という用語が公式に用いられるようになったのはこの頃からである。1997年の中共第15期大会で江沢民が行った報告では、「依法治国」とともに、「社会主義法治国家」の建設が謳われている。こうした流れの中で、1999年3月の憲法改正で、その第5条に「中華人民共和国は依法治国を実行し、社会主義法治国家を建設する。」という規定が盛り込まれ、「依法治国」は憲法上の原則として確認されることとなったのである。

 このように、1990年代後半の「依法治国」は、従来の弊害の多かった人治を法治に変えていくという目的はもちろんあったが、中国の市場経済化を推進して経済発展を図るためには所要の法制度を整備しなければならないという要請に応えるものであった。WTO加盟(2001年12月)を目前に控え、中国は後れていた法制度の整備を早急に進める必要に迫られていたのである。この当時、「依法治国」は中国の経済社会情勢が求めるところだったのであり、何らかの政治的抗争に利用するというような発想はもちろんなかった。

 これに対して、習近平政権の「依法治国」は、ただ法の厳格な実施と遵守を求めるというものであって、1990年代後半のように法制度の整備を求めるような何らかの経済社会情勢が存在するというものではない。したがって、すでに憲法上の原則ともなっている「依法治国」がなぜこの時期に持ち出されるのか、唐突感がないわけではないが、習近平政権が「依法治国」を強調する理由として主に次の2つが考えられている。

 その1つは、社会の不安定化に対処し、国内秩序の維持を図ることである。近年、中国では各種の暴動、抗議事件が多発しており、社会不安が高まっている。その要因としては、企業の労働条件に関するもの、警察・行政担当者の横暴によるもの、農民からの土地収用に関するもの、環境汚染に関するもの等様々であるが、これらの中には地方行政官が法を十分に遵守せず恣意的な対応をしたことに起因するものが多い。こうした地方における人治の実態を改め、法への信頼を高めることにより、秩序を維持し、社会の安定化を図ろうとするものである。

 もう1つは、「依法治国」を反腐敗運動の手段として利用し、反腐敗運動を推進するとともに、反腐敗運動によって政敵を排除し、党内抗争に勝利することである。習近平は、政権発足直後の2013年1月に開催された中共中央の紀律検査委員会の席上、トラとハエを同時に攻撃し、違法行為を断固として調査し、処罰する旨を述べている。ここでトラとは指導幹部を指し、ハエとは中央地方の一般官僚を意味するものと考えられている。

 この反腐敗運動の結果、今年3月の全人代での報告によれば、2014年に汚職で摘発された公務員の数は5万5101人に及んでいる。これらの公務員は上記のトラとハエの分類によればハエに属するのであろうが、このために山西省では300人近くの地方政府ポストが空席となり、行政に支障が出ているという。

 2014年はトラについても大きな動きがあった。同年6月30日に中共中央政治局は、前中央軍事委員会副主席の徐才厚の党籍剥奪処分を決定した。次いで同年7月29日に、前中共中央政治局常務委員の周永康に対して中共中央紀律検査委員会が立件、審査することを決定し、同年12月5日には同氏の党籍を剥奪した。徐才厚および周永康は、いずれも江沢民との関係が深いと目されていた人物である。このほか、習近平政権発足以来、反腐敗運動の一環として摘発された局長級以上の幹部は数百人に及ぶが、これらの幹部の大半が胡錦濤のいわゆる共産主義青年団派または江沢民のいわゆる上海閥に属する者であるとされる。こうしたことから、「依法治国」を掲げた反腐敗運動の推進により、習近平政権による政敵の排除が順調に進み、習近平が党内の権力抗争に勝利を収めつつあるように見えるが、党内での反対勢力がまだ必ずしも一掃されたわけでなく、党内抗争は依然として続いている状況と見られている。

 さて、習近平政権が「依法治国」を掲げる上述の2つの理由のうち、習近平が優先しているのはもとより2つ目の理由であろう。習近平は、上述のとおり、政権発足直後に反腐敗運動を推進してトラもハエも叩く方針を明言しており、「依法治国」はそうした過程で提起されるようになったものである。

 ところで、18期四中全会において「依法治国」の全面的推進を決議したことは上述のとおりであるが、同決議には今後の中国の政局に少なからぬ影響を及ぼす可能性があるのではないかと考えられる内容が含まれている。それが「終身責任追究制度」の導入である。

 これは、直接的には、地方政府の幹部が、自己の実績を上げるために必要性の乏しい大型プロジェクト等を実施し、地元に大きな負担を残したまま異動することが多かった事情を念頭に置き、異動した後であっても当該幹部の責任を追究することができるようにするための制度である。

 一面で、この「終身責任追究制度」は、中央の元有力者に適用することはもちろん可能であり、政敵を排除するための有力な根拠となし得るものである。たとえ公職を退き引退していても、責任は終身免れることができないのであり、自己の政敵が権力の座につけばいつでもその責任を追究される恐れがあるということである。失脚した上述の徐才厚および周永康はすでに引退していた者であり、「終身責任追究制度」の導入は権力闘争と無関係ではないだろう。

 「終身責任追究制度」がこうした性格を有するものである以上、この制度の導入は今後の共産党指導者の後継者選定の大きな障害となることが考えられる。後継者の考え方いかんによっては、いつ自分が訴追されることになるかわからないためである。

 習近平は権力闘争の過程で、中央政治局常務委員の経験者は生涯責任を問わないという慣例を破り、さらには「終身責任追究制度」を導入した。このことは、中共政権内で、将来的に、後継者選定の際の権力闘争の激化、政策の硬直化といった重大な弊害を引き起こす可能制を有するものである。権力闘争の中で打ち出された「終身責任追究制度」が、今後の中国政治の負の遺産となることは十分に考えられるのである。


発表時期:2015年2月
学会誌番号:32号

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