河原論説

香港デモと香港の行方

河原昌一郎

 香港の民主主義は生き残ることができるのか。逃亡犯条例修正に反対する香港デモは大きな盛り上がりを見せたが、結局、このデモによって香港はどこに向かうのだろうか。

 「外交と国防が中央人民政府の管理に属するほか、香港特別行政区は高度の自治権を享有する。香港特別行政区は行政管理権、立法権、独立した司法権と終審権を有する。・・・香港特別行政区政府は現地人によって構成される。行政長官は現地で選挙または協議を通じて選出され、中央人民政府が任命する。」

 これは1984年に公表された香港返還に関する英中共同声明の一節である。この声明によれば、中国に統合後の香港にはいわゆる一国二制度の下で高度な自治が約束され、香港人が選出した政府によって民主的な統治が行われるものと誰もが考えるであろう。ところが現実にはそのような状況はこれまで実現していない。香港特別行政区行政長官は親中派が多数を占める選挙委員会によって選出されたのであり、その選出には実質的に中国共産党政府の同意が必要とされたのである。言うまでもなく、政治、経済、教育等に関する行政の内容も中国政府の意向に即したものとなった。

 2014年9月から3カ月近く続いた雨傘運動はこの行政長官の選出手続きを問題としたものである。香港特別行政区基本法では、2017年の行政長官の選出から1人1票の普通選挙を導入する予定としていた。ところが、2014年8月に中国の全国人民代表大会常務委員会がこの基本法の規定に対する解釈権を行使し、普通選挙は行うものの、行政長官の候補者は親中派が多数を占める指名委員会の過半数の支持が必要であり、しかも候補は2~3人に限定するとしたのである。これでは投票の意味がなく、大多数の香港人が反発したのは当然であろう。デモ隊が主要幹線道路を長期にわたり占拠するなど、デモ活動は激しく行われたが、デモによって得られたものはなく、雨傘運動は結果として失敗に終わった。なお付言すれば、この行政長官選出方法は不評であったため、香港立法会で否決され、行政長官選出方法は現在でももとの選挙委員会の選出によって行われている。

 さて、この雨傘運動の失敗は、香港の民主主義運動の重要な分岐点となった。香港ではそれまで、もとより一定の締付けはあったものの、デモや民主的諸活動に対しては比較的寛容であり、たとえば、2012年に愛国教育の必修化に反対して起こった「反国民教育運動」では、香港政府は要求に応じて必修化を撤回した。ところが、雨傘運動以降、香港・中国政府は、中国政府の意向に即しない諸活動に対して厳しい弾圧姿勢を示すようになった。

 その背景の一つは、胡錦涛政府から習近平政府に移行したことによって、国民の諸活動に対する政府の寛容性が変化したことである。2015年10月に中国共産党に批判的な書籍を扱っていた銅鑼湾書店の関係者5人が次々と中国当局に拘束されたいわゆる銅鑼湾事件はその象徴的な出来事である。

 背景のもう一つは、若者を中心に、自身が中国人でなく香港人だと考える人の比率が増加し、香港独立等を訴える勢力が力を増していることである。香港大学の2019年6月の調査によれば、自らが香港人だと考える人は53%で過去最高、中国人だと考える人はわずか11%で過去最低となった。香港人意識の強まりによって、香港の独立や自決を訴える団体が結成されたが、中国政府はこうした動きに対して、指導者を拘束する等、徹底した弾圧で臨んでいる。

 香港の民主的活動が抑圧され、香港の民主主義に暗雲が立ち込めていた時にさらに追い打ちをかけるように2019年2月に提示されたのが逃亡犯条例修正案であった。この逃亡犯条例修正案とは、香港にいる刑事容疑者を当局からの要請に基づき引き渡すことができる国・地域を中国本土にも拡大するというものである。もし、この修正案が成立すれば、香港での各種の民主的活動が、祖国の分裂を企図する行為、中国憲法に規定する一党独裁への反対を主張する行為、国家の尊厳を毀損する行為等と見なされ、合法的に拘束されて中国当局に引き渡され、人知れず処刑されることも起こり得る。香港人にとって中国の司法制度はまったく信頼できない。民主主義運動の指導的立場にある者が次々と拘束されれば、香港の民主主義運動の灯は消えてしまうであろう。民主活動家のみならず、多くの香港人がこうした不安や恐怖を感じることとなったのである。銅鑼湾事件の記憶もまだ生々しく残っている。

 逃亡犯条例修正案は、5月11日に立法会で一読の審議を行うことが予定されたため、その前の4月28日に香港の代表的な民主団体である「民間人権陣線」主導によって反逃亡犯条例のデモが実施された。この時の参加者は、主催者発表で13万人であった。続いて、立法会での二読審査は6月12日であることが公表されたため、6月9日に大規模なデモが実施された。この時の参加者は主催者発表で103万人であり、1997年の香港統合以来最大となった。この6月9日のデモはその後長期にわたり継続し、6月12日の立法会の開催を不可能ならしめ、延期に追い込んだ。そして、6月15日には事態収拾を図るため、林鄭は逃亡犯条例改正案審議の無期限延期を発表した。ただし、審議は延期したものの、同条例案を撤回しなかったため、デモ開催を含めた同条例案への反対活動はおさまらなかった。

 今回のデモを通じて、香港政府が実質的に中国政府の傀儡的政府であり、香港警察も背後にある中国政府の指示によって動くことが改めて誰の目にも明らかとなった。そして、その中国政府の香港デモに対する姿勢は徹底した敵意である。自らの権力を批判するような勢力は抑圧して解散させるか、さもなければ暴力的に弾圧するという姿勢である。

 中国政府にとって、デモ参加者を、暴徒または暴力集団として認定し、弾圧することが最大の目標である。そのためにはデモ隊の行動が過激化し、暴徒化することが好都合である。デモ隊の暴徒化のために各種の誘導、挑発等、巧妙にわなが仕掛けられる。たとえば、デモ隊の中に警察関係者等が紛れ込み、火炎瓶を投げるなどの過激な行動をとっていたこと等が報道されている。8月31日のデモでは、一部のデモ参加者が過激な行動をとり、空港施設の破壊等を行ったが、これなども誘導の可能性がある。いずれにしても、デモ隊によるこうした暴力活動によって、当局による暴徒としての認定を可能にし、デモの弾圧が正当化される。

 ところが、今回の香港デモでは、雨傘運動の際の経験もあり、こうした弾圧を避けるため特定の指導者をつくらず、いわば分散型のデモが実施された。参加者はスマホのメッセージアプリ等を利用して連絡を取り合い、各地で形成された抗議運動グループに自発的に参加する。それにしても、こうした連絡体制の下で、十分に統率がとれ、補給等が行き届いた組織的な活動は見事というほかはない。デモ隊は、①条例案の撤回、②抗議デモに関して起きた事実を調査する独立委員会の設置、③民主的選挙の実現、④抗議を暴動とした認定の取消し、⑤抗議者の逮捕取下げを五大要求としてデモ活動を展開した。

 そうした中で、9月4日、林鄭は条例案の撤回を表明した。ただし、デモ隊は五大要求の全ての項目の受入を要求してデモ活動を継続している。香港はどこに行くのか。デモ隊の要求が受け入れられるためには、デモ隊が香港政府をさらに追い込んで香港政府の幹部がそろって辞任、交替するか、国際的圧力によって中国政府の意向が変化するといった事態が生じることが必要であるが、現状ではいずれも現実的ではない。冒頭に掲げた英中共同声明は無視されたままで終わるのだろうか。明るい展望はなかなか見えてこない。

 8月26日に閉幕したG7サミットでは、香港への中国軍介入への懸念が表明されたが、これなども英中共同声明の存在を前提としたものであろう。中国による国際条約無視は香港人にとって許せないものであろうが、国際社会も、今後、国際条約を無視して平然と人権を抑圧しようとする中国にどう向き合っていくのか、香港を試金石として、そのあり方が問われているのである。


発表時期:2019年11月
学会誌番号:50号

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