福井県立大学教授 河原昌一郎
多文化主義とは、国内にいくつかの少数民族が存在するときに、当該少数民族を多数民族と同化させるようなことはせず、少数民族の文化、伝統を守りつつ、多数民族と共生しようとする考えをいう。日本は、元来、北海道にアイヌ民族がいるほかは日本(やまと)民族しか存在せず、実質的に単一民族国家であったが、現在では、在日朝鮮人、在留中国人をはじめ、多くの民族(外国人)が日本に居住するようになっている。そのこと自体は悪くないが、注意を要するのは、これらの外国人が、日本国内でそれぞれのコミュニティを作り、多文化主義を全面に押し出して、自分たち独自の文化や慣習を日本政府または日本人に尊重し保護するよう求めるようになっていることである。日本人から見て非常識だと思えることや日本の街並みを変えてしまうようなことも少数者の権利または慣習として要求する。そして、これを非難する日本人の言動を少数者に対する差別的発言またはヘイトスピーチだとして強く弾劾するのである。しかし、こうした日本人の発言が少数者に対する差別なのだろうか。そもそも彼らは少数民族ではなく外国人として日本に居住している。日本では、言うまでもなく、日本民族が古代から培ってきた文化や伝統があり、日本人はそうした文化や伝統を守り、またそうした文化や伝統で一つにつながっている。外国人が日本に居住する場合には、そうした日本の文化や伝統を十分に尊重しなければならない。外国人に日本の文化や伝統に矛盾するような行為があった場合、日本人がそれを指摘し、苦言を呈するのは当然のことであろう。どうしてこれがヘイトスピーチなのだろうか。多文化主義をちらつかせつつこれをヘイトスピーチだとするような主張は、ヘイトスピーチに名を借りた日本人に対する言論弾圧である。最近は、ヘイトスピーチや少数者の権利といった言い方で、必要以上に日本人の外国人批判に関する言論を抑圧しようとする動きが強まっている。こうした動きは、日本人の外国に対する客観的で適正な判断を妨げるものとなることは言うまでもないだろう。多文化主義という主張には警戒の眼が必要なのである。
発表時期:2019年8月
学会誌番号:49号