河原論説

中国の国家的性格-仲裁裁判所判決への対応から-

河原昌一郎

 2016年7月12日、オランダ・ハーグの仲裁裁判所は、国連海洋法条約に基づきフィリピンが中国を相手取って2013年1月に提訴していた南シナ海問題について、ほぼ全面的にフィリピンの申し立てを認める判決を下し、これを公表した。

 判決の最も重要な内容は、これまで中国が主張してきた南シナ海における中国の歴史的権利といったものは一切認めず、いわゆる「九段線」は完全に無効であることを宣言したことである。これまで中国は、「九段線」を根拠として、「九段線」内の島礁の領有権、海洋利用の権利等の主権的権利を主張してきたが、この判決によってそうした主張が少なくとも国際法上は根拠のないものであることが明確にされたこととなる。また、判決では、中国がフィリピンの経済水域内で違法行為を行い、フィリピンの主権を侵害していること、中国の進める埋立て工事等が海洋環境に深刻な被害をもたらしており、国際的な環境保護義務に違反していること、南沙諸島のすべての島嶼が安定したコミュニティの生活に適したものでなく、海洋法上の「岩」にしかすぎないことから、経済水域を生じさせる地位を有していないことといった判断を示している。

 国連海洋法条約について、フィリピンは1984年5月8日に、中国は1996年6月7日に批准しており、両国はいずれも同条約の締約国である。また、今回の提訴は、同条約第287条および付属書Ⅶの規定に基づき、まったく合法的な法手続きに則って行われている。そうした中で示された仲裁裁判所の判断であり、中国は同条約の締約国として当然に同判断を尊重し、それに従う義務を負っている。もし、同判断に従うことができないのであれば、締約国の義務を履行できないとして同条約から脱退するべきであろう。

 ところが、中国はこの判決に対して、これに従わず、しかも同条約から脱退もせず、まったく特異とでも言うべき行動をとっている。本稿では、こうした中国の同判決への対応から中国的と見られる5つの要素を取り出して検討し、中国の国家的性格を明らかにすることとしたい。

 まず、第一の要素は、自己に不利なルールは最初からルールに従わず、一方で、その結果を無視し、または批判することである。中国は2013年2月、フィリピンに対して中国の立場を説明した口上書を提出し、フィリピンの通告書についてはその受領を拒否して返還した。このことは国連海洋法条約の規定に従って行われたフィリピンの行為を無視し、同条約の規定には従わないという意図を表明したことにほかならない。仲裁裁判所で法的に争っても勝てる見込みはなく、得られるものはないということであろうが、中国がこの口上書で、争いの原因を作ったのはフィリピンであり、フィリピンが南沙諸島の一部島礁を不法に占拠したことが原因であると主張していることには注意を要する。自己がルールに従わないだけでなく、そのルールが自己に不利なものだと思えば、そのルールに従って行動する相手方、すなわち正当な権利を行使しようとする相手方を敵視し、権利の行使を認めず、逆にいわれなき中傷を行うのである。また、中国は、当時の海洋裁判所の所長が日本人であったため、仲裁裁判の仲裁人5人の人選が適正なものでなかったと非難するが、そもそも中国はフィリピンと同じく仲裁人1人を選ぶ権限があったにもかかわらず自らその権限を拒否している。自らルールを無視しておきながら、ルールに従ってなされたことを誹謗する。そして、仲裁裁判所による仲裁については政治的茶番劇であると言いつのり、示された判決については紙くずにすぎないと否定しさるのである。

 第二の要素は、当事者の分断を図り、結果に影響を与えようとすることである。中国は仲裁裁判所長に個別に接触を図り、圧力につながる行為を続けていた(2016年7月13日産経ニュース)。仲裁裁判所は昨年10月29日に申し立ての一部についての管轄権を認める裁定を下しているが、その裁定文の中でこのことについて触れ、立場の主張は裁判所の全員と先方当事者にも表明されるべきだとの指摘を行っている。まさに正当な指摘であるが、正々堂々とは争わず裏面で当事者分断等の工作を行い、結果を変えようとするのが中国の手法なのである。

 第三の要素は、本来のルールとは別のルールを作り上げ、それによって自己の正当化を図ること、言わばダブルスタンダードを利用することである。中国は仲裁裁判所の判決の翌日の7月13日に「中国は中比間の南シナ海での紛争を、協議を通じて解決することを堅持する」と題する白書を発表した。同白書では、中国は南シナ海で争いのない歴史的権利を有していると述べた上で、その白書の題名のごとく、中比間の問題は二国間での協議を通じて解決することが適当であり、本来のあり方であると主張する。すなわち、国連海洋法で認められた仲裁裁判所を利用した解決でなく、二国間協議での解決という方式を持ち出し、そちらこそが本来のもので、中国はその方式での解決を望んでいると述べる。そして、二国間協議での解決はフィリピンの約束していたところであり、2002年に中国とASEAN諸国とで合意された「南シナ海行動宣言」の趣旨にも合致しているところだとする。今回のフィリピンの提訴はそうした経緯を無視したもので、しかも国連海洋法条約締約国としての中国の紛争解決方式選択の自由を侵害しているとして、フィリピンを強く非難し、判決とは別に、二国間協議というダブルスタンダードを利用することにより自己の正当性を主張するのである。これとともに、二国だけの協議に妨げとなるような日本、米国等の南シナ海問題への関与には強く反対し、これを排除しようとする。

 第四の要素は、国際的な宣伝戦を展開し、数の力を頼み、自己に有利な国際世論を形成しようとすることである。中国は上記白書を8カ国語に翻訳して出版し、国際社会での宣伝用資料としても利用することとしている。また、中国国務院新聞弁公室報道官は、判決の翌日には早くも70カ国以上の政府のほか、世界の230以上の政党・政治組織が中国の立場に支持を表明したと主張した(2016年7月13日YOMIURI ONLINE)。数を強調するのは、内容の是非よりも数の力を信奉しているからであろう。これとともに、中国に有利な見解を持つ外国の専門家の発言、論稿等を人民日報等に連日搭載し、判決の批判を行っている。これらは、専門家の見解としてどこまで客観性があるのかという疑問もあるが、国際世論に一定の影響力があるものと考えられているのである。

 第五の要素は、自己の主張を押し通すため、力によって既成事実を積み重ねることである。中国は今回の判決で、埋立て工事がフィリピンの排他的経済水域に関する権利を侵害して違法だと指摘されてもそのまま工事を続行し、しかも判決の翌日に人工島の新設空港で民間航空機の離発着試験を実施した。また、習近平は判決の公表に合わせて人民解放軍に開戦準備を下令し、戦争を敢えて辞することなく南シナ海での中国の権利を守りぬくよう求めた(2016年7月12日自由時報)。さらに2016年8月2日には中国最高人民法院が南シナ海を含めた中国管轄海域で司法権を行使することを宣言した。こうした既成事実を積み重ねることによって、判決内容にかかわらず、自己の主張する状態を力ずくで実現させ、それを維持し得る実力があることを内外に誇示しているのである。

 以上、今回の仲裁裁判所の判決に対する中国の対応の中から5つの要素を取り出してその特徴を見てきたが、これらはいずれも中国が他者と共通の客観的ルールを受け入れることができない国であることを示している。他者と利害が対立するような案件が生じたときに、それを平和裏に解決するためには、他者と共通のルールを尊重し、他者とともにそのルールに従うことが必要である。国連憲章を始めとして、多数の国際条約が締結されているのはそのためであり、国連海洋法条約ももとよりその1つである。ところが、中国はこうした共通のルールの意義を理解できず、それを信じることもできない。

 中国が見えているのはこれらのルールが自国にとって都合がいいかどうかであり、あくまで自分だけが中国の世界である。自己の外にある客観的存在やルールは認められないし、顧みられることもない。ルールを無視し、裏での工作を行い、ダブルスタンダードを作り上げ、都合のいい宣伝を行い、実力を行使するのはまさにそうした国家的性格を反映したものであろう。

 国際ルールを信じることができないし守りもしない、このような国家が強力なパワーを有するようになれば、世界はふたたび弱肉強食の状況へと逆戻りするほかはない。こうした国家に世界はどのように対処するのか、今、世界はこの問題を突きつけられているのである。


発表時期:2016年11月
学会誌番号:38号

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