福井県立大学教授 河原昌一郎
しばらく前のことになるが、2019年8月にニューヨークタイムズ紙は「1619プロジェクト」に関する特集記事を掲載し、米国社会に少なからぬ波紋を広げた。「1619プロジェクト」とは、米国の建国年を黒人奴隷が初めて米大陸に連れて来られた1619年とし、黒人差別の観点から米国史を書き換えるというものである。ワシントンやジェファーソンは実際には奴隷を所有していた偽善者であり、1776年の独立宣言すら奴隷制の維持が目的の一つであり、米国の歴史は全く恥ずべきものだとする。そして、この「1619プロジェクト」に基づいた副教材が作られ、一部の公立学校では既に用いられているという。
こうした動きに強い危機意識を持ったのがトランプ政権である。トランプ政権は「1619プロジェクト」に対抗するため、2020年9月に「1776委員会」を設立し、従来の歴史観の継承を重視して愛国的教育を推進することとした。「1776委員会」は、奴隷制反対に取り組んできたワシントンやジェファーソンを擁護しつつ、1776年独立宣言は自由と平等を基本理念としたものであり、この基本理念の基に米国民は団結して名誉ある歴史を築いてきたとする報告書を2021年1月18日に公表した。
言うまでもなく国民が共通の歴史、価値観を有することは国家統合、国民団結の基礎であり、源である。「1776委員会」は、こうした要請に応え、あらためて国民の統合を図ろうとしたものである。
ところが、バイデン新大統領は、就任当日の2021年1月20日、ホワイトハウスの「1776委員会」のサイトを削除してしまった。「1776委員会」は解散させるということであろう。一方で、ハリス新副大統領は「1619プロジェクト」の支持者であるという。
バイデン新大統領は口先では国民統合を呼びかけるものの、具体的な施策を講じようとしていない。今後、米国では、「1619プロジェクト」の進展とともに、社会の分断の深刻化が避けられないのではないだろうか。
発表時期:2020年5月
学会誌番号:53号