コラム

名誉とメンツ

河原昌一郎

 名誉とメンツ(面子)は、似ている面も少なくないので混同して用いられている場合も少なからず見受けられるが、本質的には全く異なるものである。そして、日本は名誉の国であり、中国はメンツの国である。なぜか。

 名誉は一定の社会的価値を前提にした概念である。その社会的価値は個人の存在を超えたものであり、個人はその社会的価値または名誉のためには命をも惜しんではならないとされる。「藩の名誉のために死す」といったようなことは、かつての日本では普通に人の口の端に上った言葉であった。名誉は個人の利益とは本質的には関係がないものである。名誉のために死んだとしても必ずしも経済的利益が与えられるわけではない。

 一方でメンツは、社会から得られる個人の利益を前提にした概念である。個人は、社会で一定の勢威、威信を保つことによって利益が得られる。メンツはそうした勢威、威信を保つためのものであって、目的とされているものはあくまで個人の利益である。したがって、メンツは決して個人の存在を超えることはない。個人の価値が絶対なのであり、メンツはそれに従属する。メンツのために死ぬようなことは、事の成り行きで勢いそうなることはあっても、本来は本末転倒である。

 日本が名誉の国であり、中国はメンツの国であることが理解していただけたであろうか。もとより、日本にもメンツの世界が一定程度存在しないわけではないが、日本は本質的に名誉の国であることはご賛同いただけるものと思う。そして中国には日本におけるような名誉の世界は存在しない。

 名誉の国とメンツの国との最大の相違点は、個人の存在を超えた価値というものを認めるかどうかという点である。名誉の国では個人の存在を超えた価値を認めるため、個人を超えた客観的な正義が成立し、また遵守されるが、メンツの国では客観的な正義がそもそも成り立たない。仮にそうした正義が掲げられたとしても誰も信用せず、無視されるだけである。中国は国際ルールを無視して顧みないが、そうした中国の行動はこうした中国社会の性格に本質的に起因しているのである。


発表時期:2016年8月
学会誌番号:37号

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